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南礀中題 米原将磨

鈴木 潤 Jホラーの核心: 女性、フェイク、呪いのビデオ (ハヤカワ新書)

Kindle https://amzn.to/47O8ySx
書籍  https://amzn.to/4orUHs6

前に、こんな話をした。
https://diontum.com/archives/828

女性の生死が問題にされることが多い、最近の流行作家は男性と思われる人が中心で女性を主人公として描いていることが多い、その手の展覧会の鑑賞者には女性が多い、みたいな基本的なことがだいたいスルーされていて微妙な気持ちになった。

今回の話は、ようやく必要な議論の前提を作れる書き手の登場したと感じた。鈴木潤だ。

https://researchmap.jp/suzukijun_z16

鈴木潤は、日本のホラー映画、とりわけ「Jホラー」と呼ばれる領域を中心に研究してきた研究者で、現在は開志専門職大学アニメ・マンガ学部の助教。大学院時代から新潟大学のアニメ・アーカイブ研究センターに関わっていたそうだ。
鈴木の議論の特徴は、メディア論的アプローチだ。幽霊や呪いといった怪異譚についての物語論的、あるいは文化人類学的ないし民俗学的アプローチではなく、それがどのようなメディア装置—VHS、ビデオカメラ、フェイク・ドキュメンタリー形式など—を通じて成立してきたのかを読み解く。たとえば『リング』に代表される「呪いのビデオ」がなぜ90年代に成立したのか、そこにはいかなる社会的イメージの流通が関与したのか、といった考察がその代表例だ。このあたり本書でも読み応えのある論証がなされている。
新書ということもあり、ここ最近のホラーブーム作品も多く紹介されているだけでなく、主要作品とスタッフ相関図がとても役に立つ。つまり、ホラーブームとは、作品同士の影響関係はあるにせよ、人物相関としては、おおきく二つにわかれる。その人物相関がそのままホラー作品のメディア的形態や作風の傾向も示していることがよくわかる。知りたい人はぜひ買ってみてほしい。
なお、ホラーのセオリーまとめなどを期待している読者にとってはおすすめしない。本書は、80年代以降の日本の代表的なホラー作品について見取り図を用意するのに限定している。よって、何か新しい理論的更新などはあまりないが、それは今後刊行されるであろう博士論文に期待したい。

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南礀中題 米原将磨

今後の予定について 中間報告

2024年の初頭に、向こう3年の計画を公開した。2年目が終わろうとしているので、レビューしたい。前回の記事は以下の通り。

レビューは以下で評価した。

●: 完了 ▲:進行中 ✖︎:未着手

前回は活動名で振り分けていたが、全体像がかえって曖昧になっているので、仕事の種別ごとにわけた。
来年度の依頼を受けている仕事は、自分から展開できる内容ではないので、以下には掲載していない。
いくつか新しい仕事も追加している。その場合は🆕をつけている。

フヒトベ社について


●2024年1月 メディア事業者である合同会社フヒトベを登記。→21月に登記完了。2月1日を創立日とした。

●2025年1月 YouTubeチャンネルTERECOの運営
→経費は回収できていないが、売上は継続的に微増している。ゲストで鮎川ぱてさんや田崎英明さんをお呼びするなど、独自の色を出せている特殊な批評チャンネルになっている。このTERECOの方針でいくと、チャンネル登録者1万人が市場規模だろうと推測している。現在、400人程度なので、市場の4%シェアとみなせる。2026年には配信回数が増えるはずなので、500人を超えてメンバーシッププランを開始予定。

●2024年12月 年刊雑誌『そらみつ』の発刊
→無事刊行した。Amazonで好評発売中。  創刊号の総売上は少ないが、本当に面白いものを作れたと思っている。資金の目処がつき次第、第2号を刊行する。テーマは「おそれ」。

✖︎2024年2月末ないし3月中旬 不定期更新オンライン文芸誌『うまこり』をローンチ。
→2026年4月 掲載予定のものはどんどん溜まっているが、処理できていない。WordPressからの脱却を考えているが設計をする暇がないので、停滞している。2026年のメインの仕事となりそう。

●2024年6月 『批評なんて呼ばれて』の普及版『批評なんて呼ばれた』をフヒトベより刊行。手紙形式ではなく一人称形式にし、構成も一部見直す。
→『批評なんて呼ばれて』は書き直さないことにした。その代わり、紙を一般的なものにした普及版を刊行している。直販のみなので、文フリなどで買ってください🙇

🆕2026年8月 ゲームと音楽のレーベルについて正式発表する。すでに名称は決定しているが、デザインや社内設計の準備ができていない。

研究について


●2024年4月 アルフォンソ・アレとパヴロフスキーの系譜学的な読解についての論文。Julien Schuhの象徴主義におけるセナークル論とDevin Griffithsの科学アナロジー論を統合し、作品分析をするもの。
→2025年12月 この論点を含む論文を提出済。論文にはGriffithsの論点は入っていない。論文の長さでは展開できなかった。博論では追加予定。

✖︎2024年5月 19世紀末から20世紀初頭のフランスにおける科学と哲学における原子論、および創作における原子表象の差異についての論文。
→全く着手できていないが、そもそも博士論文において、論文化するほどの調査が不要なことも判明。この論文は書かない。

✖︎2024年9月 スピリチュアリスムにおけるUnité概念と反知性(l’anti-intelligence)の同時代受容における同質性についての論文。
→2026年3月 できてない。こちらはできていないのがまずい。

▲2024年10月 ガストン・ド・パヴロフスキー『額の中の皺』のユーモア表現についての論文。ただし、必要な資料の一部について、フランスに資料閲覧を行く必要があり、渡仏できない場合はこの論文については発表できない。
→2025年12月 渡仏して第一次世界大戦と「同意」の問題について理解したので、その線で分析予定。

▲2025年3月 余裕があれば、パヴロフスキーにおけるユーモア概念の変遷および戦時下におけるユーモアの意義を問う論文。
→2025年12月 ユーモアの定義あたりについてなどの精査はできている。ただ、アイロニーとの違いなどについて論理的な詰めが緩い気がする。風刺文学の論証のイロハをもっと知る必要がある。

✖︎2025年6月 デジタル・ヒューマニティーズと批評理論を統合する理論的枠組みをする論文。査読誌はおそらく『言語態』。
→2026年12月 めどが立っていないが、博士論文に集中している間は執筆しない。論文にする意味もないかもなので、「うまこり」に掲載するかも。

✖︎2025年10月 博士論文「ガストン・ド・パヴロフスキーの思想の全体像の解明」を機関に提出。口頭審査後、一般公開。
→2026年10月 がんばる。

✖︎2026年5月 出版社がとくに決まらない場合、自社であるフヒトベ(下記を参照のこと)から僅少部数(500部程度?)で博論を一般向けにして出版予定。題名は未定。
→2027年5月 がんばる。

創作

✖︎2026年6月 小説『負債の星』をフヒトベから刊行。経済批評の実践として債券・仮想通貨・人工衛星をテーマに小説を刊行。
→2026年12月 小説書くの面倒なので、もしかしたら、個人でゲームにするかも。テキストADVにできたら面白い。

▲2025年8月 合同会社イースニッドよりADV PCゲーム「アイリス・オデッセイ第一作 『パンドラの少女』 」を発表予定。米原はプロデューサー、ナラティブデザイナー、演出効果で参加。ゲームはsteamで販売予定。
→2026年某月 イースニッド社の販売予定案内をご確認ください。

🆕2027年12月 インディーゲーム規模のホラーゲームの販売。AIの登場によって自分でコードを書いて、自分でデザインして、自分でモデルを作って、非常に安価にゲームが作れるようになったので、ぜひ挑戦してみたい。ゲームシステムのアイディアはあるので、シナリオを詰めていきたい。

批評

✖︎2025年4月 タイトル未定の批評文化論についての本をフヒトベより刊行。『批評なんて呼ばれた』は2010年代の個人的な回想だったのに対して、こちらは1980年代から2010年代にかけての批評史をインターネットインフラの発展やソフトウェアエンジニアリングの技術変遷などを踏まえつつ、ジャーナリスティックな手法でまとめる予定。刊行が間に合わない場合、『うまこり』などで連載予定。
→2028年1月 「この国のかたち」みたいなタイトルの思想の本を書きたい。そこには私の理論的な基盤を全て整備するような本にする。やはり、人文を愛しているのであれば、L’Être et le NéantThe Claim of Reasonのような本を一度は書いてみたい。

▲2026年4月 フヒトベより、音楽批評集『恋は二度死ぬ、あるいは死なない』を刊行。『うまこり』で個別に販売することも考えている。現在予定してる目次は以下の通り。
→ 2026年12月 博論に集中したいので、そこまで書けないかも。以下の進捗。
✖︎恋は二度死ぬ、あるいは死なない ― aikoについて
→これは書くだけ。
✖︎リズムの哲学者 ― 山下Topo洋平について
→これは書くだけ。
✖︎世界が終わるほどのロック ― チャットモンチーの世紀末的感性について
→アプローチ変える。ガールズバンドの文化史みたいなのがいいと思っている。
✖︎踏むのは手続きと韻だけ ― 短歌とラップについて
→あんまり書く気がなくなったので、執筆しないものとする。テーマの前提が間違っていた。
✖︎最初から最後の恋 ― 宇多田ヒカルについて
→執筆することをやめることにした。私はうまく書けないだろうから。
▲ミス・アメリカーナの肖像 ― テイラー・スウィフトについて
→BRIDGES Vol.2にて、構想部分だけは発表。
▲アイロニーのアメリカ人 ― エミネムについて
→BRIDGES Vol.2にて、構想部分だけは発表。

▲2026年12月 アニメ批評集を刊行。「声と死と」・「シャフ度の系譜学」といった米原初期の批評を完全にリバイズ。その他、3DCGアニメ論、ミュージカルアニメ論を執筆する予定。
→2027年3月 アニメ批評というよりゲームやアニメなどの様々なコンテンツを横断するものにしたい。いよわ論でアニメーションのMVについて論じた。3DCGについてもっとかんがえないと書けなさそう。また、ラマールの読解を通じたアニメ批評の理論的更新をしたい。

総評

進捗率は33%。原因としてはイースニッド社開発のゲームに関する業務が非常な負担となっていたことがあげられる。当初はナラティヴデザインとアーティストのブッキングと事務周りだけの予定が、プロジェクトマネジメント・音源監修・スクリプトもやることになり、本業と合わせてあまりにも忙しかった。
そうしているうちに、計画の発表から2年が経った。最近の健康診断によると、前回から体重が2キロ減り、体脂肪率が10%となり昨年比10%減だった。睡眠不足でも以前は仕事ができたがもう全然できなくなってきている。疲れが溜まりやすくなった。そのようにして死を感じたので、最近は忙しさに甘えてしていなかったキャリステニクスを本格的に再開し、食事を増やすようにした。
とはいえ、2024年から2025年にかけては、初めての韓国旅行、台湾でのビールバー巡り、奈良から京都への徒歩縦断、フランス滞在研究、フロムゲーのやりこみ、などなど、人生でいつか振り返るだろう充実した時間もたくさん過ごせた。
2026年に向けて、体力回復を意識づけたい。

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南礀中題 米原将磨

石破茂について

戦後80年談話は戦後談話の中でもとりわけ奇妙なものだった。

戦後 70 年談話においても、日本は「外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった」という一節がありますが、それ以上の詳細は論じられておりません。

このような書き方は批評家や評論家のふるまいであって、政治家の振る舞いではない。彼がこうした書き振りを抑えきれないということこそ、彼が政治家としてではなく評論家の方が向いていたことを物語っていると同時に、戦後で初めて、そしておそらく最後に評論家が首相になったことを意味する。また同時に、首相として評論を発することであらゆる評論家より現在においても後世においても読まれる文章を書いたことは否定しようがない。優れているかどうかなどは関係がない。
とはいえ、ではなぜこんな中途半端な論評を発表したのだろうか。
結局のところ、首相がこれを発表した、ということそのものの権威性を彼は信じたのだろう。必ずこの文書はアジアで翻訳される。日本語で書かれた日本人のための言葉ではない文章として割り切り、戦争責任についての考え方を首相として残すこと。評論家としての半端さを受け入れることができなければ決してそんなことはできない。その半端さゆえに、多くの現役の評論家は彼の政治家として配慮する評論家という姿に文句をつけるだろう。ただ、評論家であるがゆえに、非難されることもまた彼は百も承知なのだ。
鳥取の名士であった浄土宗の父をもつキリスト教徒、政治家であり評論家という相矛盾した男、石破茂。
2018年のインタビュー記事によると、石破氏は4代目のクリスチャンで、母方の曾祖父が、新島襄の愛弟子である金森通倫(みちとも)だった。40代でいったん棄教するものの、その後、救世軍やホーリネス教会で活躍し、晩年は湘南の葉山の洞窟で暮らす変わり者だった。金森の妻、旧姓・西山小寿(こひさ)は神戸英和女学校(現在の神戸女学院)の第1期生で、岡山の山陽英和女学校(現在の山陽学園)の創立者の一人に名を連ね、初代専任教師になった。この二人の長男・太郎が石破氏の祖父で、その長女・和子が石破氏の母親となる。この和子と結婚したのが、鳥取県知事から参議院議員になった石破二朗だった。キリスト教徒の家庭の娘と結婚した浄土宗系の二朗が何を考えていたのかはわからない。息子の石破茂氏は、1975年頃、母親が通っていた日本基督教団・鳥取教会において18歳で洗礼を受けたそうだ。
一度、彼にキリスト教徒であることが政治家においてどのような意味をもっているのかについて、ある機会に尋ねたことがある。私が一番感銘を受けたのは、その言っている内容ではなく、事前に簡単に調べていた中にでてきた言い回しや内容をそのまま繰り返したことだった。人は同一のテーマについて、多少のアレンジを入れたりするものだが、言葉を狩られて何を言われるのかわかないし、内容よりも行動と振る舞いが人物の評価を決定づけてしまう政治の世界を生きた人間の職人芸のようなものをの見せられた。しかし、そうした振る舞いはあまり評論家的ではない。評論家も特定の見解を持っているが、話し方を盛ったり、省略したり、新しい例をもってきたりしてバリエーションをだすものだ。もしかすると、彼の政治家的な振る舞いは牧師が似たような話をいつでも繰り返せる説法に由来しているのかもしれない。生来の生真面目さと勉強好きな側面は、牧師であればさぞかし立派になっただろうが、田中角栄時代を学生として過ごし、父も政治家だった彼は、政治家の道を歩んだ。これが、評論家であり政治家である石破茂という人を作ったのだとするとなかなかに興味深い。
そういったこともあり、彼がこの時代に宰相をなすにはあまりにも相応しくない。もしも、16世紀ボルドーに生まれていれば、父の跡を継いだシャトーに住まい、アキテーヌで『エセー』を書き続けたモンテーニュになっていたのかもしれない。鳥取は日本酒がうまいが、ボルドーはワインがうまい。
彼自身も若手として年長世代に思うところがたくさんあったはずだ。しばらく前から、自分がその老境に達したが、鷙鳥不群を掲げるように、派閥を作ることに熱情はない。首相も自民党の党内政治の空白期間になっていたに過ぎないといえる。国民から人気もない。残酷なことだが、彼がどれほど真面目な人だろうと、政治家とは印象の商売である。例えば、同じキリスト教徒としてもバラク・オバマが無宗教者から福音派まで味方にしてしまう魅力に比べれば、ほとんど何もないといってよい。彼は話し上手だが、人を魅力する語り手ではないし、文章を書くのがとても得意だ。またさしく評論家であり、今もさっそく自民党に対しての評論家として活動を再開している。
とはいえ、私が実際に会ったことのある政治家たちの中で、彼は確かに尊敬に値する人物だと思った。叶うならば、食べ、飲んで(ἐσθίων καὶ πίνων ルカ 7:34)、いつか、彼が父祖たちとともに眠るであろう時に(ὅταν κοιμηθήσεται μετὰ τῶν πατέρων αὐτοῦ 申命記31章16節)、その墓標を訪ねて、私はそっと梨の花を供えたい。

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南礀中題 米原将磨

物理系における計算Computation in Physical System

物理系における計算Computation in Physical Systemが面白かった。

だいたいこんな感じで説が分かれてて、ほえーとなった。
ちなみに、ここで汎計算主義と言われているのはだいたい落合陽一の著作での主張だと思って読むといいかと。

1.写像説
(a) 単純写像説

メリット: 定義がシンプルで理解しやすい。どんな物理系にも計算的記述を対応づけられるため包括的に説明できる。
デメリット: 「岩も計算している」といった過剰に対象を包括するのにつながる(汎計算主義)。計算概念が空洞化し、意味のある説明力を失う。

(b) 制約写像説
メリット: 単純写像説の恣意性を排除し、計算をするシステムとしないシステムを区別できる。反事実的制約・因果関係・傾向性などを用いて、現実的な実装条件を反映できる。
デメリット: 「どこまでを制約とするか」が曖昧。全ての物理系に何らかの計算を割り当てられる可能性が残る。

(c) ロバスト写像説
メリット: 情報理論に基づき、写像の堅牢性を厳格に定義。「岩の温度変化をNOTゲートに見立てる」といった擬似的計算を排除可能。何言ってるか分かりづらいけど、加熱される温度変化って形式的には0,1の遷移で説明できるけど(加熱前を0として、加熱後を1とみなすことを繰り返すみたいなこと)、それって他の条件無視しすぎだし(加熱前後の定義が曖昧じゃん、みたいな)、加熱という物理現象の因果関係説明できてないよね、みたいなこと。これを排除できるのが良い。
デメリット: 理論が新しくて反証された議論が十分じゃないっぽい。他分野への適用可能性は未検証。なんか細かいことはAnderson, N. G., and G. Piccinini, 2024, The Physical Signature of Computation: A Robust Mapping Account, Oxford: Oxford University Press.読むしかないらしい。科学哲学のロバストの議論の応用かな?

2.意味論的立場
メリット: 「表象なくして計算なし」という直観を捉え、心やコンピュータを計算するものとして説明できる。認知科学に適合しやすく、計算的心の理論を支持。
デメリット: 「何が表象か」を特定するのが困難。表象を扱わない計算(純粋なアルゴリズムや物理的演算)をうまく説明できない。なんでもありになって汎計算主義になりがち。

  1. 構文論的立場

メリット: 意味論に依存せず、記号操作を構文的規則のみに基づいて定義できる。計算を純粋に形式的処理として理解可能。
デメリット: 構文タイプを定義する際に結局意味論を前提にしてしまう可能性がある。コンピュータ科学での計算概念をすべて包含するわけではない。

4.機械論的立場

メリット: 計算を「機能的メカニズム」による情報処理として定義し、工学的・生物学的説明に親和的。誤計算(関数の計算命令したら別の関数で計算してたみたいなやつ)をうまく説明できるし、異なる物理的な実装基盤間の共通性を説明可能。汎計算主義を回避しやすい。
デメリット: 「メカニズムの構成要素の機能」をどう定義するかが難しい。抽象度を高めすぎると恣意的な構成が可能になる危険もある。

5.汎計算主義

メリット: 宇宙を根本的に計算的とみなす統一的世界観を提供。一部の物理学者の宇宙モデルと整合的。
デメリット: 「すべてが計算」という主張は「計算は計算である」と言っているのと変わらないし、認知科学や情報科学の考え方の基本をダメにしてしまう。無制限説は何も説明できなくなるし、制限説でも「岩も計算する」など直観に反する。個人的にはというかそれ言って何になるのかわからない。詩人ならメタファーなので可。

6.物理的チャーチ=チューリング論題CTT

(強い説)
メリット: 計算可能性と物理法則の強固な一致を主張。
デメリット: 反例(ランダム過程・連続量の扱い)が多すぎ現実的ではない。

(穏健modestな説)
メリット: 「人間が利用可能な物理計算はすべてチューリング計算に含まれる」として妥当性が高い。
デメリット: チューリング計算できないものを計算するハイパーコンピュテーションの可能性が残っており、完全な決着はない。

7.ハイパーコンピュテーション
メリット: 計算可能性の限界を探る理論的試み。無限加速TM・相対論的ハイパーコンピュータ・量子モデルなどで「CTTを超える可能性」を提示。
デメリット: 現実の物理的実装は未証明で、ほとんどが思想実験に留まる。無限精度や非現実的条件を前提にしていて、工学的に不可能。

個人的にはロバスト写像説かなー。Modest CTTは、そうなんだろうけど、面白ポイントがよくわからなかった。自分が詳しくないからなんだろうな。

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南礀中題 米原将磨

ホラーブームについて

ホラーブームの語り、一応、本になっている評論系のものはさくさく読んでる。

傾向として見えてくるのは、男性がだいたいまとめていて、ジェンダー系の評論への一切言及なく、だけど、女性作家が長く活動してジャンル横断的に活躍していることに触れても、個人の資質に還元して終わり。

女性の生死が問題にされることが多い、最近の流行作家は男性と思われる人が中心で女性を主人公として描いていることが多い、その手の展覧会の鑑賞者には女性が多い、みたいな基本的なことがだいたいスルーされていて微妙な気持ちになった。

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南礀中題 米原将磨

いまさら普遍性について

普遍性について、哲学の考え方に触れずに来た人は、それをあの世とこの世というわけで、宗教とは普遍性の実践何だなと最近よく思う。

つまり、正義はなぜあまねくところにあるのか、という問いには、あの世とこの世の理をつらぬくから、という発想なわけだ。

私はデリダの「計量不可能としての正義」という考えたかに馴染んでいたが、これは上記の宗教性が背景にあったのか、といまさらながらに思った。

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TERECO 南礀中題 米原将磨

米原式ベストハンドレッド2024

今年は本当に時間がなかったので、補足はすべてYoutubeチャンネルTERECOで配信予定。

https://www.youtube.com/@tereco9635


  
100位
世界は経営でできている
岩尾俊兵
  
99位
BAD HOP

  
98位
THE TORTURED POETS DEPARTMENT
Taylor Swift
  
97位
Palworld
製作: ポケットペア
  
96位
ウツロマユ
製作: レジスタ
  
95位
ソフトウェア開発現場の「失敗」を集めてみた
出石聡史
  
94位
サクラキミワタシ
tuki.
  
93位
おしえて!オカルト先生

  
92位
guidance
YZERR
  
91位
預言者ラエル 異星人からのメッセージ
監督: アントワーヌ・バルダッサーリ、マニュエル・ギヨン
  
90位
国立西洋美術館「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」

  
89位
ロ・ギワン
監督: キム・ヘジン
  
88位
ウトロー事件
監督: セルジュ・ガルド
  
87位
ソンサン 弔いの丘
監督: ヨン・サンホ
  
86位
カリブ海序説
エドゥアール・グリッサン著、星埜守之・塚本昌則・中村隆之訳
  
85位
teach me how to drill
Lil Mabu feat. Fivio Foreign
  
84位
呪葬(頭七)
シェン・ダングイ
  
83位
地元の唄Remix

 
82位
ミシェル・ルグラン サブスクリプション解禁

  
81位
板橋区美術館「『シュルレアリスム宣言』100年 シュルレアリスムと日本」

  
80位
ゴースト・アンド・レディ
脚本・歌詞: 高橋知伽江、作曲・編曲: 富貴晴美
  
79位
Ravel in the forest
ベル・チェン
  
78位
After Dark
GOSTAR Plugg
  
77位
孵道
製作: 法螺会
  
76位
京城クリーチャー
監督: チョン・ドンユン
  
75位
思想2024年12月号 フランクフルト学派と社会研究所100年

  
74位
歴史学はこう考える
松沢裕作
  
73位
Dina Ayada

  
72位
A Bar Song
シャブージー
  
71位
Weird
CHiNO
  
70位
Whiskey Blues
Tanner Adell
  
69位
講演2 「日本人の読み書き能力1948年調査のナゾ」(横山詔一)/第18回NINJALフォーラム
横山詔一
  
68位
数学としての世界史
加藤文元
  
67位
Austin
Dasha
  
66位
バルザック研究 アラカルト
谷本道昭
  
65位
Amiri Star
TOFU、MIKADO
  
64位
empathogen
WILLOW
  
63位
Sayso Says
che
  
62位
千葉雄貴

  
61位
For What It’s Worth
Corey Lingo
  
60位
女の子のための西洋哲学入門
メリッサ・M・シュー+キンバリー・K・ガーチャー編、三木那由他+西條玲奈監訳
  
59位
思想2024年10月号 スポーツ論の現在

  
58位
「レイヤーとキャラクター : いよわのアニメーションについて」『ユリイカ 特集 いよわ』
米原将磨
  
57位
TOKYO世界

  
56位
バトラー入門
藤高和輝
  
55位
日本近現代文学史への招待
山﨑義光他編
  
54位
The Crossroads
Cordae
  
53位
COWBOY CARTER
ビヨンセ
  
52位
distance
FARMHOUSE
  
51位
LIVE IN YAMADA
PAZU
  
50位
韓国、男子 その困難さの感情史
チェ・テソプ
  
49位
てけしゅん音楽放送局

  
48位
「右翼雑誌」の舞台裏

  
47位
東大ファッション論集中講義

  
46位
オッペンハイマー

  
45位
N&A Art SITE 李晶玉個展「アナロジー:三つのくにづくりについて」

  
44位
11/15(金)カラダが聴きたい。ココロ、動きたい 山下Topo洋平コンサート @ティアラこうとう小ホール
山下Topo洋平
  
43位
Charlu

  
42位
ネット怪談の民俗学

  
41位
CHROMAKOPIA
Tyler the creator
  
40位
ラランドのサーヤ

  
39位
Run Now
Kamui & swetty
  
38位
AIRIE

  
37位
ブッダという男
清水俊史
  
36位
21世紀の自然哲学へ
近藤和敬
  
35位
The death of Slim Shady
Eminem
  
34位
4batz

  
33位
TXQ FICTION
演出: 寺内康太郎、近藤亮太
  
32位
鮎川ぱてさんゲスト出演! 登壇者=江永泉 司会=米原将磨 音楽批評って難しくない?2 ── ボーカロイド音楽論とセクシュアリティめぐって
鮎川ぱて、江永泉、米原将磨
  
31位
コード・ブッダ
円城塔
  
30位
水彩画
劇団「普通」
  
29位
Pillow man再演

  
28位
テレ東Biz

  
27位
離婚伝説

  
26位
Creepy Nutsの国際的な展開

  
25位
理性の呼び声
スタンリー・カヴェル

  
24位
はじめての近現代短歌史
高良真実

  
23位
Deleting Pictures
Jorjiana
  
22位
きみの色
山田尚子監督

  
21位
間隙を思考する
田崎英明
  
20位
マネジメント神話 現代ビジネス哲学の真実に迫る
マシュー・スチュワート

  
19位
東洋医学はなぜ効くのか
山本高穂、 大野智

  
18位
めくるめく数理の世界 情報幾何学・人工知能・神経回路網理論
甘利俊一
  
17位
シュミット『政治的神学』訳者解説
権左武志
  
16位
ルポ国威発揚
辻田真佐憲
  
15位
墓破
監督: チャン・ジェヒョン
  
14位
ミン・ヒジン vs. HYBE

  
13位
Beethoven Blues
Jon Batiste
  
12位
Doechii

  
11位
Ella Langley

  
10位
一兆円を盗んだ男
マイケル・ルイス
  
9位
ナミビアの砂漠

  
8位
The Whitney
Yoshi. T
  
7位
Kendrick Lamar

  
6位
ルックバック
監督: 押山清高
  
5位
ライオン(ミュージカル)
脚本・作曲・作詞 ベンジャミン・ショイヤー、主演: 成河
  
4位
ラストマイル
監督: 塚原あゆ子、脚本: 野木亜紀子
  
3位
三宅香帆

  
2位
虎に翼
脚本: 吉田恵里香
  
1位
Kohjiya

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米原将磨

『呪術廻戦』のミゲルとフランス語圏アフリカンカルチャーについて

Twitter(X)を見ていて、やたら芥見下々が批判されていて驚いた。ミゲルが呪術師として強いのは黒人的身体が特殊だからというステレオタイプが描かれているという。ミゲルの初回登場シーンをよく覚えていて、芥見がそんな不用意な表現をするのだろうかと訝しんだ。『ジャンプ』を購入して該当箇所を読んでみると、全くそんなことはなかったので念のため記録しておく、ということにかこつけてそもそも論点に強く違和感を覚えたのでその点についても書いておく。

ざっくりいうと、五条がミゲルの能力の高さについて評価するときに「その中で日本では珍しい骨格(フレーム)筋肉(フィジカル) を持つミゲルが呪力強化を備えているだけでこっちとしては脅威なわけ」と、明確に人種的ステレオタイプに基づいた発言をする。骨相学と人種差別が結びついた時代そっくりの言い回しだ。しかし、芥見はそこまで無神経な作家ではない。

ミゲルは次のように反論する。

芥見下々「呪術廻戦 第225話 人外魔境新宿決戦㉗」『少年ジャンプ』2024年18号 より

実際、ミゲルは作中で五条の好敵手だった夏油の味方をしていた海外出身の呪術師として登場してきた。そのときから、五条を抑え込む高い能力を示すキャラクターとして描かれ、そこには外見的特徴についてやたら言及されたりすることはなかった。五条は能力の設定が作中で「最強」であるがゆえに、時に危うい言及や行動をしてしまい、物語の中でのキャラクター特性を際立たせてきた(その果に死んでしまう)。なので、今回の五条の発言は、ミゲルが反論しているがゆえに、そうした「危うさ」の表現として十分に理解できるものだ。会話の続きをみても、五条は「ごめん」と謝罪しているし、その危うさと素直さが彼の特徴であったはずだ。

とはいえ、アフリカ系の呪術師ができているのに対してその解像度の低さを批判する人がいたとしたら、それはある程度まで有効だ。フランス語圏の名前をもつアフリカ系の人間を登場させ、ブードゥーを適当にマッシュアップした適当アフリカンスピリチュアルカルチャーじゃん、といった具合に。しかし、そんな批判に意味があるのかはよくわからない。そもそも、日本ではフレンチアフリカンカルチャーそのものがほとんど注意を払われていない。ヒップホップを好きな人がアメリカンアフリカ文化について関心をもつとしても、フランス語圏アフリカンカルチャーについて興味をもつのだろうか。差別を声高に指摘することは大事なことだとは思うものの、自分が隠された構造的差別に加担し続けていることに気づくことは難しいものだ。ミゲルの久々の登場を気に、単に批判に同調するのではなく、フランス語圏アフリカに関心をもつのもよいだろう。

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米原将磨

「ネット民を味方つけ」

guidance(Yzerr)を聞いていて思うのだが、この人は本当にカスタマー対応とマーケティングを読むのがうまいな、と思った。というのも、こんな例をみたからだ。

FFEEL OR BEEF BADPOP IS DEAD(舐達麻)のYoutubeコメント欄で、長文レビューがついていると「ネット民と同じこと言ってるwww」という返信がついてた。言うまでもなく、おそらくこのやりとりをしている当事者は会ったことすらないだろう。つまり、ネット上でやりとりしかしていないのに、Yzerrの熱心なファンは自分のことを「ネット民」と思ってはいない、「リアル」な人間だと考えているし、そのような人々を味方につけるストーリーテリングなど含めて実に見事だと思った。

なお、このビーフについては、正直なところ「けんかはよくない」以外に言うことがあまりない。

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米原将磨

遠アーベル幾何学とスピノザ

数論や圏論のアマチュアが論文の読み方を辛うじて覚えたまま、遠アーベル幾何学に基づいたIUTの論証をなぞった時の衝撃。「私が知らないだけで、これはきっと何かの論証の過程なのだろう」と思っていたことが、アルゴリズム的な操作の厳密な定義で、証明そのものがたったの数行で終わっているのだ!

私たちは、このことを別の形でよく知っている。それはスピノザの『エチカ』と全く同じやり口だからだ。スピノザがアルゴリズムを解いているという観点を私はこのようにして手に入れた。よくある対比もここで補足しておくと、ライプニッツはアルゴリズムそのものについて思考した。スピノザはアルゴリズムそのものをやってのけた。なんとも美しい二人だ。