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南礀中題 米原将磨

いまさら普遍性について

普遍性について、哲学の考え方に触れずに来た人は、それをあの世とこの世というわけで、宗教とは普遍性の実践何だなと最近よく思う。

つまり、正義はなぜあまねくところにあるのか、という問いには、あの世とこの世の理をつらぬくから、という発想なわけだ。

私はデリダの「計量不可能としての正義」という考えたかに馴染んでいたが、これは上記の宗教性が背景にあったのか、といまさらながらに思った。