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米原将磨

『呪術廻戦』のミゲルとフランス語圏アフリカンカルチャーについて

Twitter(X)を見ていて、やたら芥見下々が批判されていて驚いた。ミゲルが呪術師として強いのは黒人的身体が特殊だからというステレオタイプが描かれているという。ミゲルの初回登場シーンをよく覚えていて、芥見がそんな不用意な表現をするのだろうかと訝しんだ。『ジャンプ』を購入して該当箇所を読んでみると、全くそんなことはなかったので念のため記録しておく、ということにかこつけてそもそも論点に強く違和感を覚えたのでその点についても書いておく。

ざっくりいうと、五条がミゲルの能力の高さについて評価するときに「その中で日本では珍しい骨格(フレーム)筋肉(フィジカル) を持つミゲルが呪力強化を備えているだけでこっちとしては脅威なわけ」と、明確に人種的ステレオタイプに基づいた発言をする。骨相学と人種差別が結びついた時代そっくりの言い回しだ。しかし、芥見はそこまで無神経な作家ではない。

ミゲルは次のように反論する。

芥見下々「呪術廻戦 第225話 人外魔境新宿決戦㉗」『少年ジャンプ』2024年18号 より

実際、ミゲルは作中で五条の好敵手だった夏油の味方をしていた海外出身の呪術師として登場してきた。そのときから、五条を抑え込む高い能力を示すキャラクターとして描かれ、そこには外見的特徴についてやたら言及されたりすることはなかった。五条は能力の設定が作中で「最強」であるがゆえに、時に危うい言及や行動をしてしまい、物語の中でのキャラクター特性を際立たせてきた(その果に死んでしまう)。なので、今回の五条の発言は、ミゲルが反論しているがゆえに、そうした「危うさ」の表現として十分に理解できるものだ。会話の続きをみても、五条は「ごめん」と謝罪しているし、その危うさと素直さが彼の特徴であったはずだ。

とはいえ、アフリカ系の呪術師ができているのに対してその解像度の低さを批判する人がいたとしたら、それはある程度まで有効だ。フランス語圏の名前をもつアフリカ系の人間を登場させ、ブードゥーを適当にマッシュアップした適当アフリカンスピリチュアルカルチャーじゃん、といった具合に。しかし、そんな批判に意味があるのかはよくわからない。そもそも、日本ではフレンチアフリカンカルチャーそのものがほとんど注意を払われていない。ヒップホップを好きな人がアメリカンアフリカ文化について関心をもつとしても、フランス語圏アフリカンカルチャーについて興味をもつのだろうか。差別を声高に指摘することは大事なことだとは思うものの、自分が隠された構造的差別に加担し続けていることに気づくことは難しいものだ。ミゲルの久々の登場を気に、単に批判に同調するのではなく、フランス語圏アフリカに関心をもつのもよいだろう。

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