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佐藤正尚 南礀中題

1/27

Covid-19の感染症流行を気に人は忘れているが、後遺症の残る他のさまざまな感染症はいまでも根絶されなていないし、今後も完全に駆逐されることはないだろう。

一年後に正反対のことを言えるくらいでないと、学んでいる人とは言えないのかもしれない。

人文界隈によれば、ポリコレのレポートが増えて、しかも単なるモラル批評らしい。しかし、テマティーク、新歴史主義、マルクス主義、カルスタの型に当てはめた読解という名のモラル批評はずっとあるので、作品を読む技術やモラル批評しかしていない点を批判するのではなく、型をどれだけ守れているか、そこに型があるのかを論じるに私なら持っていくなと思った。https://twitter.com/kyohhei99/status/1486566145784442881?s=21

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1/24

丁寧に読んでいた論文をやっと読み終わる。

仕事に対する心理的な抵抗が出ている週で、寝不足。

『認識と反省性』を早く読んでしまいたいのだが、著者もなかなかスケジュールが大変だったようで、誤字脱字、論述のまとまりのなさが気になる。一方で、中身は大変勉強になる。ある意味で、こうした本は完璧を目指して二の足を踏みがちな精神を楽にしてくれるので嬉しい。

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1/22

ホーツーニェン展に行く。大変良かった。妖怪国体という名前のキャラクターもいる作画を北朝鮮のアニメーション会社が下請けしているらしいので、感慨深い。旅館のアポリアのThe Voidについてもさらに解像度高く理解できた。床の間、不毛な回転、風、無。

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1/19

午後から仕事先。ストレスでそれ以上その場にいたくなかったので駅のカフェで会議、その後作業したまま終業。

週末にホーツーニェン展行くため、ぷらっと東海で5000円ほど安く新幹線の券を手に入れた。

図書館で資料受け取り。最近、研究が進まないのでストレスを感じる。

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1/19

行く川の流れは絶えねども、仕事は虚無なり。

スパイダーマンホームカミングを家人とみる。いまからするとMJの隠キャぶりがオタク心をくすぐる作りになっていることがよい。

最近、スイッチが入ってないので、朝早く起きて研究会準備などをしたい。

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1/17

労働は果てしない。

家人がセールでワインを4本買ったそうなので、店近くで合流して、近くのアラビア料理の店に持ち込んで飲み食い。Calebiancheの白。ワインが美味しすぎて一本空けてしまった。フムス、ラムのラップ、ババガヌーシュも大変美味しく、労働の疲れを忘れた。

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1/16

徹夜で飲み、6:00頃に帰宅。14:00まで寝る。風呂に入ってから、民藝の100年展にいった。

いい展覧会だった。画集は今後活かすことができなさそうなので買ってはいないが、『工藝』のオマージュとなっているしっかりした製本だったので、その手の人には必須のアイテムだと思う。

民藝運動の直前期、我孫子別荘ブーム時代の柳が朝鮮の焼き物に興味を持ち、バーナード・リーチと交流があった時の話から、戦中を挟み、柳の死後の民藝運動について広く扱っていたが、構成といい資料の面白さといい、年初から素晴らしい展覧会を見ることができた。

知らなかったことで一番印象的だったのは、民藝運動をやっていた柳としては、当時の貧民救済のための工芸品作りに対して、伝統的な意匠が失われるために反対していたということだった。晩年、美の法門の境地にいたった柳は、このときの自分の中の美の境界について、何を思っていたのか。

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1/15

シールズを先行世代が評価するのは「昔の自分を褒めたいだけなのでは」と思っていたが、呉座・辻田・与那覇鼎談を見て、大体みんな同じことを考えていたのだな、と思った。左派的史観が事実検証を歪めたり、ロジックが極端になるのはわかるけれども、私もナショナルヒストリーで育ったので、もっとまともなナショナルヒストリーを次世代に読んで欲しいと思う。

この手の話を聞くと、セットで新書フォーマットで、おそらくは実学的ではない本が広く売られている国自体が珍しい、という意見については、少し思うところがある。まず、日本の出版文化自体が極めて特殊な成立をしているので、新書的なものは、みんな大好き欧米にもたくさんある。ただし、学者よりもジャーナリストの肩書きをもっている人の方が強い、という点が欧米的な特徴な気がする。フランスでは、クセジュ文庫などすぐに例に出されるが意外に教養書的なものが多い。ただし、日本で新書について語る人がほとんど歴史系の人、というのは日本における一定の趣向がでているのかもしれない。

違う相手の意見も載せる論に対しては、でも面白い話をするフェミニストの意見とか載せるんですか、とは思ってしまう。党派的でなく活動するのも、めぐりめぐって形式的には結局は党派と同じなので、実際にそういう場を作っていかないといけないのだろう。

シスターフッドがあるように、ブラザーフッドはあるはずなのだが、いつからそれはホモソーシャルになるのか。境目とは何か。

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1/14

若いことの価値は、これからやることがあることのほかに大したものはないな、と思った。

男性がケアとエンパワメントについて語るときに、ホモソーシャルとマチズモがないなんて、本当なのか?

などと考えていたら、『スパイダーマン ノーウェイホーム』が本当によかったのですべてどうでも良くなった。いい映画だった。

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1/12

研究会をなんとか乗り越えた。貴重な意見をたくさんもらったので、いい論文にしたい。

東浩紀の家族論には、ルソーの憐れみ論から来ている。ところで、最近はケアとエンパシーが流行っている。東浩紀は独力でエンパシーからここ10年の思想を展開していたのに対して、フェミニズムと連帯を称する男性知識人が、英米圏の蓄積をようやく援用しているのについて嘆息してしまった。男性の書く内省的なケアとエンパシーを駆使した評論はすべてマルクス主義批評としてしか読めない。

私は私の切実さを私にしかわからないという確信を通じてしか、フェミニズムについて理解できない。つまり、私は個別の男性であり、普遍的に男性でしかなく、そして、確かに女性ではないのだ。

地獄が呼んでいる、をそういえば見た。アニメーションが良かった。韓国ドラマのサイコキラーを神にすることで空虚な中心のまわりを走り回る人々、というテイスト。人はどこにだって象徴天皇を見いだす。