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佐藤正尚 南礀中題

ゲハルト・ヒリター展感想

2022年6月25日にゲハルト・リヒター展に行った。

リヒターはコレクション展で見たことがあったかもしれないが、視覚効果を重視した作品が並んでいると壮観だった。スキージはドリッピングなどの技法の更新というより、描くことと画面を削ることを同時に起こすような、劣化の技法である点が興味ぶかい。とにかく技術力が高い。

ビルケナウはなかなか興味深いアプローチだったが、最後に展示されていた90年から00年にかけてのプリントされたフィルムに絵の具をぬっていた作品と同じで、覚えられなさについての考古学を表現していた。

ところで、東京都近代美術館の常設展は本当にレベルが高い。とくに福田美蘭の作品をたぶん初めて本物をみて本当に感心した。ユーモアとアイロニーが見事に合わさっていたし、オリジナリティや同一性が何によって構成されているのかについての真摯な問いにもなっていた。

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2022年6月30日

サイゼの冷製パスタが美味かった。

冷製パスタ
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2022年5月19日

信じられないくらいなんでも話題になる。今回は大塚英志の書評がSNSで物議。https://www.news-postseven.com/archives/20220513_1752431.html?DETAIL

誰とは言わないが、アカデミズムとサブカルチャーの学際性批判に肯定している人もいる。一方で、読まなくても書ける感想文でしかなく本についての吟味になっていない、女性が著者だからぞんざいな扱いをしているだけだろうといったような否定の意見もでている。

肯定派については、この太古の昔から繰り返されてきた同時代証人の登場と、証言と記録の真正性をめぐる問いなしで肯定していて大丈夫ですかと思う。否定派については、学会の雑誌に載るような査読に近い書評をただの広告記事に求める点にただただ驚く。実際、書評のおかげで慶應義塾大学出版会のこの本を知った人も多いだろう。なお、作者の性別については、筆者の大塚が気にしていたか怪しい、という論点もありえるだろう。

ただ、否定肯定以前に、大塚氏はそういう書き手だったという気もするが、みな全てを忘却しているのだろう。例えば,このツイートには驚いた。

https://twitter.com/lotzun_deupol/status/1526898797074599936?s=21&t=F8v_UvoLw9ewInvCHEc93w

ただ、大塚という書き手の評価を措いて、彼は今や大学人だ。大学人なのであれば、たんにご自分でインタビューアーカイブを作るのがいいのではないだろうか。デジタルヒューマニティーズの界隈では10年前からそういう試みがあるし、こういうことを言われてもいまの職業としては仕方があるまい。

シラスについて創業者の危惧を聞く。

シラスの今の雰囲気が、ゼロアカの反復なのは間違いない。ただし、あたりまえだが、シラスを聞いている側も、やっている側も、ゼロアカに比べて人生のさまざまな意味で老いてるし、なりよりも職業人が主体的に放送している点はまったく異なっているし、飲み会が付随的なことがわかっていないのは内部の人のうちのたぶん一部だろう。というか、シラスをやっている人も、エンカレッジされるのではなく、シラス以外でうまくいけば単にシラスを切ることも十分にありえるだろう。そういうものだし、それをどう防ぐかがサービス設計というわけだ。

私も個人的にゼロアカの人と一時的に付き合いがあったが、私があまりにも若かったというのもあるが、あの方たちは労働していてもしていなくても話はあまり楽しいものではなかったし、シラスで知り合った人たちのうち、かつてのハンドルネームで有名な人の意味のなさに比べればまったく質が異なると思うし、ジェンダーと世代のバランス感覚も多様なので、あれを本当にたんに一緒にするコメントをみて少しげんなりした。

いろいろ思うところがあるものの、いまの東浩紀は、同じことをやっていたとしても、ゼロアカの頃よりずっと信頼がもてる。いつか天才は来るのだろう。同じことは起きないだろう。

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2022年5月2日

学生証を更新した。働いて3年も経つが、新入生たちを見る気持ちが変わっていないので、学部生のある時期から大学に対しての価値観が決定的に変わってしまったのだろう。教育機関としての大学に私は馴染めていないのかもしれない。

論文は詰めの部分で呻吟していたが、すとんと落ちた。資料もあらかた出揃ったのでやっつけたい。フランス語レジュメ部分も見てもらう約束を取り付けたので一安心。

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2022年5月1日

急に漫画が読みたくなり、漫画喫茶に行った。前から少し気になっていたブルーピリオドを最新刊まで読んだ。ラカンもフロイトも読まなくていいと思ったが(ゴンブリッチは読んだ方がいい)、いろいろ考えさせられるいい漫画だった。

創作者が創作をテーマにするとだいたいモチーフが陳腐化する。クリエイターは偉大な哲学者ではなく、知性においては凡庸だからだ。しかし、陳腐さも青少年の成長の軸を複数用意して群像劇と成長譚を手堅く配置し、圧倒的なマンガのうまさでどんどん読ませるのには舌を巻いた。小説の参考にもなった。

ただ、帰りが3:00になってしまい、歩いて帰りながらハイボールを飲んだ。こういう時のハイボールはうまいのだが、今日の新宿の夜は寒い。帰ったら洗濯物を取り込まないといけない。

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2022年4月28日

弓指寛治のマジック・マンチュリア展に行く。

一周目で既に感銘を受けたが、二度目は運良く本人の解説があってそれを聞きながらもう一周した。

松下哲也はシラスのどこかで弓指寛治をして現代の歴史画家と評していたが、まさしく今回は歴史画の展覧会だった。

祖父が満蒙開拓青少年義勇軍で満州にいき、引き揚げの一人だったことを知った弓指の「マジック・マンチュリア」は『エヴァンゲリオン』のように十数年かけて完結するらしい(本人談)。戦争末期に満州に行き、線路を敷き、奇術を覚えて帰った男の孫。展覧会の傑作を飾る「鍬の戦士と鉄の巨人」の説得力はいや増して高まるというものだ。

爆破される張作霖の乗った列車
ヴァイオリンを弾く兵士
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2022年4月23日、24日

前の日、友人から電話がきて散歩帰りに一杯で済むはずもなく1リットルくらいビールを飲んで、しめにウィスキーを飲んだ。仕事のことで憂鬱になり、3時に就寝。

次の日、山下Topo洋平チャンネルオフ会に参加。懲りずにビールを飲んで体調を整え、大変愉快な時間を過ごす。チャランゴを生まれて初めて弾かせていただいた。真ん中の弦だけ、オクターブの違う弦が2本あり、興味深かった。久しぶりに純粋に、ギターが弾きたくなった。ケーナも会場にいた人に貸してもらって吹いたてみた。15分ほど努力を重ね、少し音が出た。面白い楽器だ。

しめやかに撤収作業が続く中、酔った勢いでRentのSeasons of LoveをiPhone で流すと、山下さんの興が乗り、一緒に歌うことになった。いい思い出。

帰りは、確かもうビールとワインをかなり飲んでいたので眠く、二次会会場で少し寝てから、復活。人生の諸事について話す。

何時かわからない時間に解散し、3次会にゲンロンカフェに向かうことに。SF講座の打ち上げをやっていたそうで、みな楽しくやっていた。毎年賞を獲る人は面白い作品を書くので今年も楽しみ。

7:00くらいに解散して、山手線をたぶん一週してしまった。王子駅で劇団普通の「秘密」千秋楽を見に行ったのだが、朝ご飯で食べたスタバのワッフルが完全に胃の中で処理できず、トイレに篭ったまま戦う羽目に。ひとしきり吐瀉したあと水で口を濯ぎ、トイレで顔を洗い、ミンティアで口臭をなんとして、途中から観劇。「秘密」のいいところは、1時間あとから見た時点でもおおよその話の内容を全て理解できる構成のシンプルさにもかかわらず、登場人物たちの日常の過剰なセリフの横溢があり、見るものを圧倒させるところだ。平田オリザ「東京ノート」的なところがありながら、その背後にはほんとうに日常しかない、つまり、真に日常的なことだけが危機的であるというリアリズムはとても好みだった。

電車の中ではひたすら吐き気をこらえつつ、帰り、家で突っ伏して寝続けた。

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2022年4月15日

気がつくとふたつき経っていた。サイトの整理をしていた。あと、研究でもだいぶ進捗があった。論文投稿できそうなのが信じられない。

いろいろなものを読んだ。

千葉雅也『現代思想入門』。戦後フランス哲学が日本では「現代思想」と呼ばれている。なお、これはある時期の知的潮流の名前でしかない。実際、デリダやフーコーを「現代思想家」などとは言わない。これは、何かの職業や技能ではないのだ。

そもそも、一般的には、「現代思想」で対象となっている哲学者たちの考えていることを「思想」とは言わないだろう。働いていると、思想とは、社訓のようなキーワードや標語が示す内容のことを意味する。あるいは、自社製品が他社製品と違って優位な点を示す時に使われる。本をよく読む人と、商売の道具としての思想の意味はこのように大きく異なる。

千葉は、この本の中でそうしたことを暗示しつつ、見事に知の巨人たちのエッセンスを結晶化させている。具体的には、箇条書きでそれぞれの思想家たちの戦略をまとめている点だ。ビジネス書では当たり前だが、こうした箇条書きはそもそも教育目的の人文思想の本ではもっとたくさん書かれるべきだったのに、せいぜい一部の哲学分野でしか使用されていない。箇条書きこそ一つの思想なのだから、今後はこういう書き手がいろいろな分野でもっと増えてほしいと思う。

『維摩経・勝鬘経』の新訳もとてもよかった。コラムで驚いた、というか、当たり前といえば当たり前なのだが、聚沫という言葉があるように、平安時代のうつりゆくものに「あはれ」を感じる感性は、仏教に由来するものなのだ。のちには、鴨長明が「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたるためしなし」と書きつけた。大乗仏教の力が最も強いアジアの小国の歴史を垣間見るのことのできる素晴らしい本だった。

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NHKが歴史戦という言葉を使っていて、新しい歴史教科書の活動の結果の延長で、軍艦島をめぐっての諍いと同じことがまた起こっていた。リベラル人文知識人が背中に冷や水をくらおうが、あの運動に内部に当初から参画し、リベラル系の政党との連携をするしかなかったのだが、そんなことは決して出来なかっただろう。というよりむしろ、真に危機的な運動体に対して内部から変えていくことが、この国ではなぜできないのかについては、近代日本の思想状況の問題であり、それはいまアメリカでも似たような状況が起きているため、現在的な問いにもなる。

2022年3月号、つまり今月の『Are you happy?』で70年台に左翼運動家の学生だったと名乗る女性のインタビューが載っていた。

批判ばかりで、何の責任もとらない卑怯な心。不平不満や嫉妬を正当化しようとする奪う愛の思い。それは決して自分も人も幸福にしない考え方です。また、先の大戦で戦った英霊たちの霊言を聞いたときには、涙があふれて止まりませんでした。(中略)それは、私のなかに眠っていた愛国心が目覚め始めた瞬間でした。以来、私は左翼的な風潮が色濃い北海道で、信仰心と愛国心を広めるため、活動を続けています。

『Are you happy?』、2022年3月号、35頁

三拍子揃った左翼批判保守・右翼賛美で中身はほとんどない。しかし、70年代活動家たちが彼女の息子を共有財産だとして奪い去ろうとした話など、敵対者の暴力性の強調でしかないが、なかなか読ませた。付き合っていた男性と逃れた先が北海道だった、ということだそうだが、勤め先も北海道だそうで、時代証言として、かなりバイアスがあるとはいえ読ませた。映画『愛国女子』のキャンペーンや釈量子のインタビューも載っているが、母としてという保守的なフレーズや、そもそも大川という男性を中心としたヒエラルキーで女性の活躍も何もないが、あるいは娘が総裁になれば状況が変わるのだろうか。近年、宗教団体も不景気のあおりを受けて露骨に保守・愛国路線を強調している。戦前の宗教団体の右傾化との比較も考えると、今後も目が離せない。フェミニズム新宗教はありえるのか。

ウエルベックがまだ入荷されていないなら注文しようかと思い、紀伊國屋洋書部へ。注文しているそうで、売り切れになる可能性もあるからということで予約。たぶんAmazonフランスで個人輸入した方が早かったのだろうが、読む時間がないので、べつにいいやとなった。

ハンズで新しいコーヒーミルを買った。ついでに、有田焼のフィルターを購入。使ってみたが、たしかに便利だった。早速マグで二杯飲んでしまった。

抱えている小説の執筆部分を整理した。友人と共作で、彼発案の名義で出す予定。他に個人的に短編を書いているそうで、プロットの相談もした。面白い作品になりそうだ。

研究の整理もしたが、引用部分の整理で終わってしまった。早く執筆資格審査の草稿を仕上げたい。

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自分で縫った着物を来て新春の催しに出る。初めて百人一首カルタ取りをしたが、全く覚えておらず、参加者がそれぞれ上の句だけで普通に下の句を取っていて驚いた。

文春オンラインでDr.ハインリヒがインタビューに答えていて、面白かった。さやわかのカルチャーお白洲で聴いてはいたが、漫才を実際に見たことがなかったので視聴した。結構笑ってしまった。