気がつくとふたつき経っていた。サイトの整理をしていた。あと、研究でもだいぶ進捗があった。論文投稿できそうなのが信じられない。
いろいろなものを読んだ。
千葉雅也『現代思想入門』。戦後フランス哲学が日本では「現代思想」と呼ばれている。なお、これはある時期の知的潮流の名前でしかない。実際、デリダやフーコーを「現代思想家」などとは言わない。これは、何かの職業や技能ではないのだ。
そもそも、一般的には、「現代思想」で対象となっている哲学者たちの考えていることを「思想」とは言わないだろう。働いていると、思想とは、社訓のようなキーワードや標語が示す内容のことを意味する。あるいは、自社製品が他社製品と違って優位な点を示す時に使われる。本をよく読む人と、商売の道具としての思想の意味はこのように大きく異なる。
千葉は、この本の中でそうしたことを暗示しつつ、見事に知の巨人たちのエッセンスを結晶化させている。具体的には、箇条書きでそれぞれの思想家たちの戦略をまとめている点だ。ビジネス書では当たり前だが、こうした箇条書きはそもそも教育目的の人文思想の本ではもっとたくさん書かれるべきだったのに、せいぜい一部の哲学分野でしか使用されていない。箇条書きこそ一つの思想なのだから、今後はこういう書き手がいろいろな分野でもっと増えてほしいと思う。
『維摩経・勝鬘経』の新訳もとてもよかった。コラムで驚いた、というか、当たり前といえば当たり前なのだが、聚沫という言葉があるように、平安時代のうつりゆくものに「あはれ」を感じる感性は、仏教に由来するものなのだ。のちには、鴨長明が「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまりたるためしなし」と書きつけた。大乗仏教の力が最も強いアジアの小国の歴史を垣間見るのことのできる素晴らしい本だった。