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佐藤正尚 南礀中題

6月30日

労働後、ビールとチューハイを立て続けに飲む。大学院の研究会に参加。ベケットと習慣の問題についての修論構想。面白かった。アイロンがけをしつつ、津田・辻田・浜崎鼎談を拝聴。無所属立候補が強い区議会選挙以外は、とっくに与党抑止論としてしか選挙をみていないので、都議会選挙については、最も政策実行力のない共産党に投票しようかと考えている我が愛する新宿区では、エンジニアが作った全都黎明なる党が新宿区で立候補者を出していた。しかし、党代表が2万円で自分が開発したtypescriptパッケージのプログを書かせてしかも本名も出していないのは、政治を何だと思っているのか気になった。あと、議席数が4名だから可能性の観点から立候補者をだしたらしいが、この人は前は千代田区で立候補していて、新宿区での活動も歌舞伎町でゴミ拾いだけしているのに唖然とした。靖国通りと明治通りだけで新宿が成立していると考えるのは浅はかだ。共産党と公明党の本拠地がありつつ、都庁があり保守層もいまだ強いこの土地の歴史に対する考察と反省が足りない。新宿を舐めているなと思った。

就寝までHendersonの四次元論とPawlowskiを再読。

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佐藤正尚 南礀中題

6月29日

労働を一通り終えて、中国語の授業へ行った。今日は三坑少女と、中国の女权とそれに対するの批判的な言葉として女拳という言葉を習う。論争を中国語で読むと、内容に関係なくどうやって論理的にみせるかを中国語で学ぶ。文調で「而是」を使う、得心。

友人と企画している児童文学のプロジェクトの日程調整。光の防人関係者にも連絡。そのうち防人読書会と防人散歩をしたい。

Le Guinの『闇の左手』を50頁ほど読み進めたが、ジェイムソンが述べていた、現実と遊離したユートピアモデルの提示として描かれているというのについて本当なのか、と疑問。ジェイムソンにしては浅薄すぎるのではないかと感じた。いや、私の読みが浅いのか。『未来の考古学』を読み直すべかもしれない。

いい加減博論に取り掛かりたいので差分をどうみるかやってみたが、せっかくメモリのあるPCにしたので、Atomを久しぶりに起動。画面分割が一番快適だった。差分だけのファイルを作成すれば、資料ページになるだろう。

また、鼾のせいで眠りが浅い気もするので、鼾防止グッズを買ったが、鼻呼吸をサポートするものは自分にとって全体的にダメだとわかった。諦めてマスピース、というかタングピース?を購入。

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佐藤正尚 南礀中題

『ゴジラ S.P <シンギュラポイント>』

『ゴジラ S.P <シンギュラポイント>』(以下、SP)は大変素晴らしい作品だったので、長い文章を書くことにした。といっても、脚本・構成に参加している円城塔がとにかく好きだ、という長い告白になる。

舞台は千葉。千葉はとにかく愛されていてて、ここのところヒットしているラノベ原作アニメでも千葉よくてでくる。Chiba City Bluesとは違う。ただし、東京から遠すぎず、作劇に便利な海が近い郊外で、横浜や相模ほど色がついていない不思議な土地として愛されているのだろう。今回のアニメで千葉は再びSFの舞台として返り咲いた。

その舞台を彩る様々なガジェットも考え抜かれていた。

物語の発端は、丘の上の古い洋館。そこから湧いてくる謎の音。幽霊の噂。学者らしき人物が住んでいてのインド民謡らしき音楽が流れてくる。探偵趣味と小栗虫太郎を彷彿とさせるオカルティックな始まりである。

その雰囲気によくあっているのは、「古史羅」なる錦絵だ。それが祭りで自然に受け入れられているという設定も小気味良く、主人公の一人神野が怪しげな書き下しを読み上げることで登場人物たちが際立って学識豊かであることが察せられる演出もわかりやすい。

ガジェットについてはキリがないのでこの程度にして、ゴジラシリーズとしての目線からも見てみると、トラウマ的なつまらなさを鑑賞者に与えた『怪獣惑星』に比べて、大真面目に昭和ゴジラシリーズに向き合って昇華した作品と言える。映画館でゴジラを見ることが一つの娯楽だった時代、プロレスをしながら人類の味方をしてくれるゴジラを、現代の私たちが見るのはなかなかつらい。ゴジラと鉄腕アトムの悪魔合体のような、「SP」のジェットジャガーの由来となっている映画『メガロ対ゴジラ』は『怪獣惑星』よりもつまらない(一周まわって面白いが)。ゴジラが恐怖の生命体から人類の味方になぜなったのか、怪獣ブームとプロレスブーム、そして娯楽としてのSFがどのように大衆の歓心を買ったのかの説明はものの本に譲る。「SP」で大事なのはとにかくジェットジャガーなので、その話をしよう。

『メガロ対ゴジラ』では、ジェットジャガーはだいたい「機械のウルトラマン」といったところだが、ジェットジャーの搭載する人工知能は円城塔の用語では知性のことだ。知性といっても、登場人物が賢く知識が明晰な人ばかりということとは関係がない。円城塔『Self-Reference ENGINE』(ハヤカワ文庫、JA985、2011年)に登場する巨大知性体のことだ。巨大知性体は、自然現象自体に演算して介入する。自然現象といっても、時空間にも介入するので、複数の巨大知性体が別の宇宙をつくりあって、宇宙どうしが戦うことになる。人間が作った機械仕掛けの神によるラグナロクだ。「SP」でも、超計算機どうしが競合する、とペロ2が話すが、巨大知性体も同様、というわけだ。

さて、「SP」では洋館のインド民謡と赤潮が物語の始まりだった。『Self-Reference ENGINE』の世界で巨大知性体間戦争は「イベント」という一連の理解し難い事象が物語の発端となっている。例えば、未来から銃撃を受ける。

僕の考えではこうだ。リタはどっかの方向のはじめからやってきた。ところがどういう理由でか、未来方向から銃撃を受けて過去方向の軌道を捻じ曲げられた。おかげで彼女はその反動で今の母親のお腹に時間逆行的に閉じ込められることになった(『Self-Reference ENGINE』、24)

たいていの行為は現在から未来にかけて行われる。有川ユンが指摘しているように「メッセージは過去から未来に届く」(10話)。だとすると、「未来方向から銃撃を受けて過去方向の軌道を捻じ曲げられ」るのは、通常と逆の順序になる。このように、過去に未来を計算するというレトリックは円城塔の一貫したテーマである。なお、「SP」では、葦原が取得していた計算結果は、MD5ハッシュの数列として物語の後半で主人公たちの行動原理となっていく。そう、未来を変えるためには、未来に向かって未来の条件を整えてやれば良い。

で、彼女が矢鱈と発砲を続ける理由はこうだ。彼女が撃たれる前に、彼女を撃つ相手を撃ってしまえばいい。そいつは彼女の未来方向にいるはずだから、未来方向へ撃てばいい。幸いにして弾は普通、未来方向へ進む。少なくとも過去方向に撃つよりか簡単だ(『Self-Reference ENGINE』、25)

ここまで示してきた様に、「SP」の大筋は円城塔がずっと描こうとしているテーマの一つだ。ちなみに、物語と作者の関係を巨大知性体と人間のメタファーで語っていた円城塔だからこそ、今回の物語のような展開になっていたと言える。最後にそのことについて話そう。

はじめ、物語は葦原が残したOrthogonal Diagonalizer(Oxygen DestroyerのODからきているのだろう)の謎を解くことで破局と呼ばれるこの宇宙の終わりを防ぐための戦いが物語の主軸をなす。しかし、最終話近くになってジェットジャガーユングが何度も再起動を繰り返し幼児退行する。誰が仕組んだのかは不明のまま、物語は進む。最後に、これは物語中盤でペロ2に託された「ジェットジャガーを最強にするプロトコル」を、ペロ2の機転によって過去から未来に向けて未来の情報をAlupu Upalaに挿入していた、ということが明らかになる。最強になったジェットジャガーは、ゴジラを倒すことのできる大きさになり、原因はよくわからいが、ともかくゴジラの戦いの末、紅塵を結晶化させ世界は救われる。そのプロトコルこそ、真のOrthogonal Diagonalizerだった、というわけだ。つまり、物語は入れ子とミスリーディングによって構成されている。一番大きな殻は葦原の謎を追うことだ。次の殻に、ユングとペロ2たち人工知能の物語がある。ところで、後者からしてみれば、これはすべてすでに起こったことが再演されているにすぎないのであり、物語で最も中核にいたのは、実はユングとペロ2ということになる。芦原の謎は最初から解けていたのだ。

話を『Self-Reference ENGINE』に戻す。巨大知性体の作者は人間だったが、いつのまにか人間を規定するようになる。ところで、物語に巻き込まれた主人公たちは、ユングとペロ2という有川が生み出した人工知能によって規定されている。これらは相同関係にある。この相同関係は、物語の結末の印象を大きく決定づけている。ユングとペロ2によって、その使用者である有川と神野はあらかじめ出会うことが決められていたということが事後的に判明するからだ。つまり、二人の出会いは運命によって定められていた、といいかえられる。しかし、この運命の出会いは、ペロ3が神野のそばにいることや直接会うことが初めてであることによって、新しい出会いとして鑑賞者には感じられるのだ。運命の出会いが、運命なのに、新しく一歩を踏み出す予感となる。意外にも、堂々たるセカイ系であり、その結末はだいたい『君の名』でさえある。円城塔を考えるうえで、セカイ系はやはりはずせないということに改めて気付かされたのだった。

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佐藤正尚 南礀中題

6月27日、映画・本・ビール

和裁をした次の日は、どこかを散歩するか、本を読むかをしている。家人が歌舞伎に行くということで朝からTOHO Cinemas新宿でシン・エヴァを鑑賞した。確か4回目だったが人生を肯定することができる数少ないかけがえのないものであることを再確認した。ついでに、昼間から閃光のハサウェイを鑑賞することにしてチケットを買った。

昼食をつるかめ食堂で済ませて、シン・エヴァの論集を買いに紀伊國屋にいくが、発売されていなかった。気になっていた新刊の値段を確かめ、今度生協で買うことにして店を出た。1階のタバコ屋でなんとなく葉巻の値段が気になってみてみると、1500円あたりが一番安かった。シーシャ仲間の友人に、いろいろ比べて誕生日にでもプレゼントしようと思う。

伊勢丹とH&Mには挟まれたlemonでカプチーノを頼む。持っていたバトラーの『欲望の主体』を読了。久しく感じたことのない爽快な読後感。サルトルはこんなにも面白い思想家だったのか、と人生で初めて心から知った。80年代の終わりにこんな本を出していたというので、バトラーは偉大な哲学者だ。他の本もちゃんと読みたい。

映画館に戻って閃光を鑑賞した。いい映画だったが、登場人物の関係形式がお決まりのパターンだったので退屈した。めぐりあいや逆襲での会話劇が真剣なシーンほど意味不明なのにくらべて極めて明晰な会話がなされるのも悪くはないが、ケレン味にかけていて、ギギの意味不明さは単に「メンヘラ」表象を女性に押し付けているようで居心地が悪かった。逆襲では、シャァの最後のララァについての告白にこそそうした表現との釣り合いがとれていたが(全員どこか頭がおかしい)、今回はそうなっておらず、全体的なマチズモがどうにも気になった。小説が原作とはいえ、ギギが80歳の老人の愛人というのは、富野の年齢をどうしても重ねてしまい、辛いものがあった。とはいえ、夜戦の表現はここ最近のアニメ表現では抜群だった。明暗の絶妙な調整によって緊張感を演出させていたのはよかったし、市街戦ではモビルスーツが兵器としていかに驚異的であるのかを逃げ惑うハサウェイとギギを中心に演出していたのも良かった。

帰りに十字峡宇奈月ビールヴァルシュタイナーを買った。宇奈月ビールは、富山県黒部宇奈月で醸造されたケルシュだ。すっきりとした味わいで、IPAとはことなったほのかな甘さを感じる。時間がたったあとの苦味も強くなく、缶ビールながらじっくり飲むことができる。ヴァルシュタイナーは、ノイトライン・ヴェストファーレンで醸造されたピルスナーだ。口当たりが芳ばしい。麦の苦味が舌をざらつかせずに喉を通り、気がつけばもう一口を求めてしまう。ほとんどパンの味さえする。ビーフシチューにこのビールを合わせれば素敵な食事になるだろう。

ビールを飲みながら、洗濯物をして、食事を簡単に済ませて、読み返していたSelf-Reference Engineを読了。自分にとってゼロ年代があるとしたら、本当のところこれだなと思っていることに気づいた。ゴジラSPについて文章を書いていたので改めて読み返したわけだが、円城塔のすべての作品はこの本のテーマが何らかの形で展開されていることに気づいた。SPの論攷ではエモい一文を引いておこうと思う。

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Diontum Project 佐藤正尚 南礀中題

Max Bense

トレーニングでアンイーブン・プッシュアップをしていた。その時、補助として、手元にあった70年代に出された平凡社の哲学事典を使っていた。腕が上がらなくなったのでなんとなくページを繰ると、マックス・ベンゼ(Max Bense)という名前が飛び込んできた。日本では、97年に『情報美学入門 : 基礎と応用 』が訳出されてから、全く注目されていないがたまたま関心に近いこともあり、関連論文を読んでしまった。

ベンゼは美学について記号の実在性から再定義しようとして4冊書いた50年代から70年代にかけてドイツで活躍した美学者・詩人だ。分析哲学の進展もあり、いまとなっては古くなる印象のある議論だが、現代の潮流から掘りざけると、面白いことが言えるかもしれない。例えば、Mitrealtät。美的存在とは、現実のこの世界に追加される存在とされ、美的現実という存在論的な位置づけとなる。Benseの情報美学(Informationsästhetik)での「情報」の扱いは同じく50年代に活躍した。Abraham Molesの分類で考えるとわかりやすい。Molesは意味論と美学における情報の扱い方をSemantic Informationを「何が表現されているか」、Aesthetic informationを「どうやって表現しているか」としたが、BenseはAesthetic informationを典型的に後者である。

さて、こうした議論を70年代以後の情報学の観点から再定義し、とくに美的存在者たる作品を情報の処理としていかに議論するかは工学趣味の読み物としては面白いが、工学に資するところがあまりない。工学からしてみれば、作品が情報として扱えるのは当たり前で、データの表現形式だけに関心があるからだ。では、私は情報美学の何に価値を感じているかというと、単なる認識・情動を美的な経験の美の効果自体を認めてしまうことについて比較的早い時期に行っており、いまはまったく省みられていないからだ。

私は戦後ドイツ美学にはまったく明るくない。というのも、適当な読み物では目にしないからだ。私のような不勉強で偏った知識しか持たない人間は、美学の周縁にぎりぎり位置していたかもしれない(メディア論の戦後ドイツの位置づけをそもそも知らない)キットラーくらいしかわからない。ただ、いっさいまともに読んでいないが、Benseの情報学の注目は極めて真っ当だったと思う。

日本では、情報の唯物論についての議論が、真剣に議論されなくなってしまった。SNSの前景化によって情報の実在があまりにも自明であり、現象の分析と工学的な技術開発でしかそうした議論をしなくなってしまったからだ。ネットが社会を変える、というのは、電子演算機以後の情報概念でいうところの、「情報」が人を動かす、の言い換えでしかない。工学的な情報はまったく無慈悲なので、どんなものも情報にする。哲学者がかつて夢見た存在者モデルの具体的な実例は2進数で表現されている。『存在と出来事』は偉大な書物だが、これが真剣に読まれないのも、結局そのためだろう。どんな古典も未来について語っている。現在という未来は過去であり、古典は常に読むに値する。その本を古典にするためには、どんな風にして未来を語っているかをどれだけ多くの人がする必要がある。

『存在と出来事』といえば、翻訳者の藤本一勇の『情報のマテリアリズム』は忘れ去られてしまった。デリダの研究者なので、情報社会論のイデオロギーが素朴な観念論に基づいていることを脱構築的に読解しているためだろうか、情報についてハードな哲学を論じる人がいなかった。久しぶりに読み返すと、形相を「準安定状態」と言い換えてしまうことで、情報のマテリティを具体的に示せなかった点が気になった。そもそも、情報は現代において観念的に扱うこと自体が難しいことを示せば、のちのアートシーンにも大きな影響を与えたかもしれない。

情報学の進展とともに、Aesthetic Informationの概念はますます力を失った一方で、情報についてのアートシーンはますますマテリアルになっていった。では、Benseは何を見ていたのか、今の私たちには想像もできない。まず、彼はナチスの社会を生きていた。1950-60年代のドイツで、情報美学を言うことが何を意味していたのか。その懸隔に何か大いなるポテンシャルがあるかもしれないし、何もないかもしれない。Benseが再読される日はもう来ないだろうから、ここに走り書きしておく。

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佐藤正尚 南礀中題

樊遲、仁を問う

子路に次の言葉がある。

樊遲問仁。子曰「居處恭,執事敬,與人忠。雖之夷狄,不可棄也。」

樊遲の遲は動物のサイのこと。彼は老年の孔子のボディーガードのようなことをしていた。いかにもそれらしい名前だ。その樊遲が孔子に仁について聞いた。すると、「家では恭しく、仕事では慎重に、人々に対しては誠実に振る舞いなさい。未開の土地でさえも、このことは捨てるに及ばないだろう」と答えたそうだ。恭しく、というよりかは礼儀正しく、だろうか。「執事敬」の解釈もなかなか難しいが、私が気になっているのは、最後の訳しづらいところだ。「雖之夷狄,不可棄也」の「不可棄也」はそれが普遍的に成立しているからこそなのか、あるいはそうすればどんなところでもうまくいくだろう、という意味なのか。確定はできない。

別の観点でみると、これは普遍性の問題である。夷狄とは、他者のことだ。この他者は具体的には別の共同体のことだ。そこでも普遍的に成立する法則があり、「居處恭,執事敬,與人忠」がそれにあたるというわけだ。仁とは普遍的な法則なのだ。

時代がくだって、宗教的儀礼集の一つに過ぎない『論語』が観念論まで高められ、反動として仁の唯物論を気などといった別の概念と接合するものがいた。以前はよくわからなかつたが、『論語』のこうした記述にはすでに道徳の自然学とでも呼ぶようなものの萌芽がある。

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佐藤正尚 南礀中題

「南礀中題」に寄せて

備忘録や日記にも立派な名前をつけてやりたいと思った。「備忘録」とぶっきらぼうなのもいいのだが、どうにも書く気がのらない。先人にならって、「塵の中」としてもよいが、すぐれた散文家でも歌人でもない。折りたく柴のなんとやらでもいいが私は儒者でもないし、個人への憎悪を政策の合理性にすり替えるほどの気概もない。さてはていかが奉ろうかと思案の末、開いてみたは岩波文庫の『唐詩選』、目に飛び込んできたのは柳宗元の「南礀中題」だった。

人類はかつて官僚こそが最良の詩人であった時代を経験している。世俗を離れ彫琢されきった散華のごとき五山の詩人のような例もあるが、世俗の身には理解し難い。対して、官僚が文人であった世俗こそ、良き詩の土壌となっていた。では、官僚の佳品はどの土地に育つのか。歴史と歴史についての詩、詩と詩についての歴史に育つ。

ユーラシア大陸最東端の豊かな土地に暮らしていた人々は早くから文字を書くようになった。そうして、幾星霜かの果てに、唐と呼ばれる時代を迎えた。

唐の王朝九世紀に、宦官勢力と対立した革新派がいた。政治における革新派はつねに自分が生きている間に世界を変えてしまおうとするが、その基盤は弱いため、成功することは決してない。この革新派になびく宦官嫌いの皇帝を据えたものの、彼が逝去した末に、グループの人間は配流されたり、死刑になった。その中に、30代で官僚としてのキャリアを断たれた子厚という男がいた。彼は長安から遥か遠くに左遷され、傑作となった詩をいくつか残した。彼の名作の多くは、自然を描いたものだ。しかし、その風景には感傷が仮託され、時の流れに耐え抜く詩となった。この詩人は、柳宗元という名前で知られている。

彼の終の住処は政争の果てに配流された永州という行政区だった。現在の湖南省である。日本からは、北京空港経由で一日ほどかければ訪れることができる。詩に取り上げられている南礀は現在の零陵郡を指す。零陵の都市部では開発が進み、古い街並みを観光地区として保存し、COVID-19が猖獗を極めているのもどこ吹く風、微博の写真からも賑わいが伝わってくる。また、私がこの地域で最も好きなのは、その独特の酸辣がくせになる湖南料理だ。こうしてみると、永州に行くことが絶望的な配流には思えないかもしれない。しかし、豊かな料理が生まれる背景にあった肥沃な土地と多く民族の折衝は、唐の時代には宗元にとって過酷さそのものだった。

まず、唐代の永州はほぼ国内の最南端だった。こここに配流された官僚たちは、慢性的な民族衝突と南方特有の伝染病に苦しめられた。さらに、永州に暮らしはじめた頃には、彼は病気がちになっていた。彼は精神と肉体の耐えざる不安の中にいた。しかし、そんな窮境の中でも、彼がそれでも詩を草したのは、永州の自然が心の無聊を慰めたからだった。彼の傑作がどれも自然を謳いあげる一方で己の感傷を込めたものであるのは、詩の対象と主体の懸隔が著しい彼の生活をそのまま描いたからであり、今もなお詩作技芸の極致を伝えている。

そんな宗元の詩で、私が目にしたのは「南礀中題」だった。

秋気集南礀 秋気南礀に集まる
獨遊亭午時 獨り遊ぶ亭午の時
廻風一蕭瑟 廻風一えに蕭瑟
林景久参差 林景久しく参差
始至若有得 始めて至るに得る有るが若く
稍深遂忘疲 稍深くして遂に疲れを忘る
覉禽響幽谷 覉禽幽谷に響き
寒藻舞淪漪 寒藻淪漪に舞う
去國魂已遠 國を去りては魂已に遠く
懐人涙空垂 人を懐うては涙空しく垂る
孤生易為感 孤生感を為し易く
失路少所宜 失路宜しき所を少く
索莫竟何事 索莫竟に何をか事とせん
徘徊祇自知 徘徊祇だ自らを知るのみ
誰為後来者 誰か後来の者と為り
當與此心期 當に此の心と期すべき

この詩の訳文はネットで読めるのでここでは書き下しだけにしておく。この詩は大きく2つのパートに分かれる。「寒藻舞淪漪」までは南礀の自然を説明している。山林を散策し、その美しさに胸に打たれている。しかし、事態は急変する。いわゆる序破急の破が、「去國魂已遠/懐人涙空垂」にあたる。風光明媚な土地の散策は、彼が本来望んでいたものではなかったことが明かされる。そして、「當與此心期」まで宗元はたたみかける。一人で生きることで感傷的になりやすくなり、山道で迷ってしまうように人生のどこかで道を間違え、今はいいことなどない。真昼時にとつぜん虚しさが込み上げてくる。この気持ちは今この瞬間の自分にしかわからない。しかし、いつかは南礀のこの風景を見た者も同じ気持ちをもつだろうか。「當與此心期」を反語ととるかは、読む者に委ねられている。自然と心情の反転、その導入時の意外さ、宗元の人生を知らなかったとしてもわかる孤独に生きることから来る感傷。孤独とは、自分はどうせひとりなのだと他人を突き放しつつ、他人に自分と同じ気持ちを理解してほしいという矛盾であることを端的に表現している。「南礀中題」の普遍性はここにある。

私はこの詩を読むたびに、「孤生易為感」という言葉に立ち止まってしまう。生きるということは絶えざる「孤生」に悩まされることだ。孤独なゆえに人を求めるが、「易為感」のために人と共にいることにも辛くなり、人を遠ざけてしまう。「易為感」があまりに過ぎると、自殺する者もいる。自殺といえば、最近の思想的流行に反出生主義をめぐる議論があるが、概説書を読むまでもなく、この議論には陥穽がある。死に向かっていくために、本来的に人間はどれほど耐えがたくとも、生への傾向がある。生への傾向性が示しているは、死(あるいは無)こそ根源的ということだ。ここに生まれてよかった、とは究極的には言えないのであり、かといって、生まれてこない方が良かった、というのもほとんど意味がない。せいぜい、「死んでいてよかった」という可能性があり、それを言うことは不可能なのだ。あるいは、私たちに言えることは「死んでいないでいよう」だとか、「死んでいないことをやめる」なのかもしれない。幸いなことに、私はこうして文章をかける程度には「死んでいないでいよう」と日々を過ごし、昔では考えられなかったことだが、喜びを感じてさえいる。

こう思い至った時、私は日々の追想について「南礀中題」という題のもとにまとめることにした。いつか零陵の旅行記でも書くのかもしれない。無精で随筆もないが、旅の思い出もそのうちに書いていこう。草枕旅行く人も行き触ればにほひぬべくも咲ける萩かも。