前回から3週間経っていて本当に驚く。思い返すと、仕事のストレスでの心身の疲労と、博論の準備のためにずっとやっている校訂作業で長文を書く気が起きなかった。また、仕事で関わっている製品のトラブルが続き、いろいろなことにやる気を失ってしまっていた。とはいえ、備忘録をつけておく。
14日は久々に和裁に行った。夕方に散髪。次の日の日曜日、東博に「聖徳太子と法隆寺」展を見に行った。
展覧会は、飛鳥時代の仏教関係装飾物および文物が一堂に介していたので珍品を賞でることができた。モデルとなった人物が生きていた頃は、古墳時代からの歴史的連続性があったのだが、仏教文化の政治的な利用がその絢爛さや先進性によって喧伝されていったことが展示品からよくわかった。
私が感銘をうけたのは2つ。法華義疏と金属製灌頂帳だ。法華義疏が宮内庁から公開されているのをみて本当に驚いた。日本人の手による欧陽詢風の書体に影響を受けた仏典注釈書はなかなか見ることはないし、太子の直筆ではないのだろうが、大変貴重なものであるのは間違いない。
次に、当時の法隆寺の灌頂帳が金属製であったことも大きな驚きだった。黄金に輝く灌頂帳は、仏法の権威をいやまして高めたのに違いない。
ただし、展覧会のまとめ方はよくわからなかった。「太子信仰」が途中からの展示のすべてを貫いていたのだが、この太子信仰が結局は何かよくわからなかった。8世紀光明皇后の頃に端を発しているという説明もあったが、中世、近世を通じて法隆寺による太子の神格化と太子信仰の関係があまり掴めなかった。学説自体が整備されていないのだろうが、その曖昧さが展覧会半ばからの展示品の関係をわかりにくくしていたように思われた。しかし、いずにせよ、7,8世紀頃の仏像や四天王像が一堂に会した貴重な機会なので訪問されたい。事前予約以外では当日券が品切れだと入館できないので要注意(COVID-19対策のため)。
昼食を公園のスタバで済ませて、イサム・ノグチの展覧会もみた。若い人がたくさんいて、写真映えする提灯のディスプレイやインダストリアル・ミーツ・「ハンス・アルプ」めいた彫刻で記念撮影に興じていた。この収益で尖った展示ができるようになるのでもっとやればいいと思う。
とはいえ、展覧会としては私にはまったくよくわからなかったので、あまりに勉強が足りていないか、あまりにも説明不足かどちらかなのだが、おそらく両方だろう。ノグチはそもそもよくわからない。簡単に論文を読んでみても、どの文脈で何について革新的だったのかよくわからない。入門できるはずの展覧会は、日本にルーツをもつ神秘的な芸術家が日本の職人と出会って晩年の傑作をつくった、というストーリー仕立てになっていて、作品については何もわからなかった。ここ最近、おりにふれて美術を学んでいるので、そのマテリアルでこれを作るなんて変わっているな、くらいは思ったものの、そうした評価のしかたはしないようだ。音をあげて図録をみたが、いまいち不明だった。
帰りながら考えたこととしては、世界で初めて生前に個人の美術館を開いたこの美術家にはたくさんの愛好家・プローカーがいたはずで、庭石の再解釈でここまで財をなしたという戦後のアート・ビジネスを考えるうえで欠かせない作品という点で見ることができたのはよかったのかもしれない……、ということだった。
その後の2週間は倦怠感に苛まれて、書くことができなかったが、そのかわり生活を充実させることにした。長雨に備えて室内部屋干しを買い、コンロで沸騰させるタイプの安いエスプレッソマシンを買った。スーパーで安いがひどい味のするわけではない豆を購入して、深煎りした。コーヒー豆は驚くほど焦げやすいので手持ちの小さい鍋が少し煤けてしまったのだが、コーヒーを煎る器械まで必要なのかと悩んでいる。
そうこうしていると次土曜日が来た。たしか『宇宙へ』を読み切った気がする。その前の土曜日だったか。記憶が曖昧だ。22日の日曜日は一日ぼうっとして、夜に昔お世話になった先輩方とZOOM飲み会をした。フランスの都市部では、ワクチン接種がずいぶん前に行き渡っていて、パリの郊外ではマスクをしていないのが普通だそうだ。まだカフェに積極的に行くことはないそうだが、友人を自宅に招いて食事をすることが一般的で、そうした形で日常的な生活が復帰しているらしい。郊外と都市部で生活のパターンが異なるので感染流行の拡大についてもいろいろ事情が違うのだろう。
平日には特筆すべきことは何もなかった。28日土曜日に和裁にいき、裏地と表地の裾を縫った。29日日曜日は、ワクチンを2回打ったということで、友人とドライブに出かけて、海辺を走った。今日はどうしても冷麺が食べたかったので、新大久保のコサムでビビンバ冷麺を食べた。このうまさを求めていたので、本当に満足だった。
思えば、8月はいつも無気力である。暑さに本当に弱く、体調を崩しやすい。とくにいまの家は外気の温度をあまりにうけやすく、家の中の寒暖差が大きく知らず知らずのうちに体の負担がたまっていて、夏バテしているのだろう。
なのでツイッターの更新もほんどしていないが、桜庭一樹による時評(書評)撤回通告の事件はかなり驚いたので、いろいろ書いてしまった。「創作」のあらすじに「事実誤認」があるという主張は、かなり著者本人にとってリスクなはずだし、引き換えに非難対象の掲載会社と契約打ち切りを言い出しているだからすごい。また、この件について文学研究者や批評家が作者の権能と読者の権利の話に終始しているのにも驚いた。これは、商習慣上契約書のかたちをとらないことが多い業界で機能している信頼をかなりないがしろにしていることのほうが問題な気がする。
こうした観点を持った理由は、次の通りである。私はITのエンジニアを100人ぐらいフォローしていて、その中のひとりがこの話題にも触れていたのだが「著者が違うといっているから撤回すればいいのに面倒な業界である」といったことを指摘していた。「面倒な業界」という点以外はまったく的外れである。こうした手合いにわかりやすく説明すると、桜庭の主張はSLAも契約して、UATも完了したのに、検収間際になって「リスク管理の問題で役員の一人がダメ出ししたのでまだ支払いができません、弊社は何も確認しませんでしたが、この点について御社から事前に説明がなかったので支払いはできないかもしれません」と言っているのに等しい。どうしてそんな会社を信用できるのだろうか。
ここでSLAにあたるのが「創作」というカテゴライズで雑誌掲載をしたことだ。文芸雑誌では、何もカテゴライズしないで発表してもよいし(「寄稿」という掲載形式など)、反対にエッセイであることを明確にすることもできる。しかし、「創作」として掲載した場合、どれだけ事実に基づいていても著者確認をうけて適切な内容だと判断されることなく流通する時評などいくらでも書かれうる。というより、時評とはそもそも著者が確認するものではない。納品した製品についての評判を外部の人間に話すのに、いちいち納品した会社が確認しないのと同じことだ。
商習慣といったのは、ここに関わる。どんな作家だろうと、それが創作として発表された以上、時評では読み手の価値観が表明される。「創作」というかたちで著作物を文芸誌上に発表するということはそういうことだ。時評には編集者の手が入るので、いわば文芸誌共同体価値観を形成する。なので、先ごろある時評執筆者が作品を単に「つまらない」と評したのに対して編集者が掲載を拒否し、それについて何ごとか抽象的なことを言っていたが、この場合は単に評者が何も理解していない。編集者の時評についての仕事とは、この価値観を維持することだ。この価値観はそれ自体何の価値もない。しかし、文芸誌共同体の中で作品や作家を語る上での共通言語として機能する。稀に傑作がでてきて人々があらゆる場所でその作品について話すときに、その共通言語は広告資料となる。それがもうすぐ絶滅するかもしれない文芸誌を中心とした場合の小説文化を形成する一側面である。桜庭の行動はこうした価値観に見られる構造的欠陥を批判するのでもなく、「そのように他人にとやかく言われることの不愉快さ」に依拠して否を唱えている点が問題である。時評が書かれても良い状態で作品を掲載しているのは、いわばUATである。つまり、桜庭はSLAもUATも雑に済ませていた、と客観的にみて言わざるを得ない。桜庭ほどの作家であれば、そもそも文芸誌に掲載しなくとも、noteで有料掲載して多くの読者が購入して広く読まれただろう。わざわざ文芸誌を発表媒体に選んだのに、そうした行為に伴って発生する自身の責任についてあまりにも無自覚にみえる。桜庭は被害者のように振る舞っているが、桜庭自身は非常に影響力のある作家なので会社や時評を執筆した人に対して権力者として振る舞うことができるし、実際そのように行動を起こしている。
最後に、上記とは関係がない慨嘆を記す。人が自分の家族について不特定多数の場に書くことは非常に大きな責任と危険が伴う。それについて真剣に考えてSNSに投稿している人は多数派ではないだろうが、桜庭ほどの地位の確立した作家が、自分の家族について書くことの責任、危険、あとから生じるはずの様々な葛藤をきちんと考えていたとは思えない発表形式の選択や、契約打ち切りの一方的な通告をしている点にはつらいものがある。「砂糖菓子の弾丸は打ち抜けない」という家族のほころびと小さな奇跡について肉薄する傑作を著し、それ以後もそのテーマを大事にしていたと思われる作者のいまの振る舞いにただただ失望を禁じえない。
そんなことで気が沈んでいたが、なんとなく家にあった『あさきゆめみし』を読んで非常に元気がでた。その話はまたそのうちしよう。