午前中は和裁。ジャクソン・ポロックの柄が気に入っていたので、5年ほど前に古着で買った。女物だったので仕立て直すことにして、6ヶ月ほど週1回ほどいったりいかなかったりしたが、先生の教え方が非常にうまいのもあり、自分で着るには問題ない仕上がりになった。写真の通りだ。
次は唐草模様の紫の綿か何かの生地で位置から女物を裁ちと縫いをする予定。
午後は幼馴染のITエンジニアと庵野秀明展に行った。松下哲也が「松下哲也のアート講釈日本地」で指摘していたように、最初の庵野の着想源となった60年代以降の特撮のホビー玩具群(模型)は日本でホビー玩具がデパートの屋上で展示される催しがあった。1990年代に生まれ、1歳から5歳までの4年ほど宇都宮に住んでいた私でも、地方のデパートは現在とは違い、コインを入れると動き出すパンダの乗り物が置いてあったように思う。ただし、楽しい思い出はない。経済規模が停滞していった初期のデパートの屋上の記憶は哀愁につきまとわれている。高度経済成長時代の日本が世界に対して文化的優位性を発揮していた最後の時代は、庵野秀明のにとって最良の時代だったろう。実際、公的に確認できる史料でこれほど日本が経済的かつ文化的に影響を世界に与えてきたことはないし、いまや国際的競争力を失いつつありビジネス的なメリットが何もない日本語を学ぶ人々が世界中にいるのは、かつての神話が生きているからだ。現代でも日本の文化が世界に影響を与えている時、いつも戦後の50年程度の歴史が前提となっている。
庵野秀明の若い頃の制作はまさしく経済的成長に裏付けられた楽観的世界観によって成立していたと思う。中学生時代の同人誌の絵についてはとくに目を引くものはないが、高校生の時のフィルム作品『ナカムライダー』は圧巻だった。作品が撮影禁止だったので詳細についてうろ覚えだが、8mmのフィルムだったかもしれない。スペシウム光線を自己流に表現するためにフィルムに傷をつけたとのことだが、言うは易しで、1秒18コマの8mm四方の小さなフィルムに机上でひたすら傷をつけている庵野のことを想像すると慄然する。アニメーションの撮影の工程でエヴァはかなり前衛的なことをやっていたが、そのキャリア最初期からシン・エヴァンゲリオンにいたるまで、アニメーション、というか媒体自体を加工する映像表現の核心を突いていたように思う。
しかし、展覧会のクオリティは低いと思った。「さやわかのカルチャーお白洲」でさやわかが指摘していたように、特撮からアニメーションに行くことをあの展覧会から説明できる人はいないだろう。編年的な展示にはポルノアニメ時代の庵野の活動は抹消されていて、そしてそのときの同時代的なポルノ表現が『トップをねらえ!』以降の作品で明らかに活かされているのだから庵野を論じるうえでこの時代の活動は外せない。編年的な無文脈性と歴史修正に伴う様式史の欠落は展覧会の質としては私には高いものには思えなかった。
夜、私の家で友人と食事。GO langでAPIフレームが最新のサービス開発で主流にならざるをえない理由は面白かった。国際規格についてアメリカのビッグカンパニーが握り続けていたが、情報通信社会では、API通信を設計することでプラットホームを握ることができるそうだ。また、SEO対策の話を展覧会に行く前に話していたのだが、グーグルの検索性についても現在にいたってもかなり問題があるそうだ。グーグルの提示するルールに従ってウェブページを設計するだけでページが優遇されるのだが、当然、内容は問われないので、怪しいサイトはいくらでも上位に来るそうだ。グーグルは結果として権威を与えるシステムを作成しているのだが、保管されているデータのどれを優先して表示するかは常に利用され、意図と離れたかたちでルールが適用される。『アーカイブの病』では、公文書は権力者によって常に保存が選別されるが、検索では、文書自体はすべて保存されるかわりに検索アルゴリズムが表示によって権威が生じている。これはページランキングのアルゴリズムのときから指摘されていたが、現在は違うアルゴリズムが適用されているので古いアルゴリズムに基づいた議論は更新される必要があるだろう。
日本の財政出動ベースのリフレは債務不履行で絶対にすべきではない、という元マル経学生の友人に対して米国保護領日本の金融市場の信用は米国に担保されているという形での議論や、エリーティシズムで日本の情報系の学生は毎年質が高まっていることが明らかといった話が面白かった。いい休日だった。