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佐藤正尚 南礀中題

12/14

中国語の授業が面白かった。

最近、テレビで年末ヒットソングトップ10のライブ(现场)があったそうだ。しかし、“抖音”(ticktock)などのショート動画(短视频)で話題だった音楽だけが選ばれてしまい、ネットが荒れた、という話だった。

中国では政治的な話以外では、意外とゆるいところも多く、中国語文化圏の音楽の現状を嘆く、といった炎上はわりと放っておいてもらえるらしい。検閲のコントロールもなかなかの技術に達しているようだ。

話を戻すと、授業で紹介されたブログ記事がなかなかの白眉だった。いわく、かつて中国で携帯電話が普及した際に一時的に大流行した“彩铃”と音楽の形式がまるで同じであり、まるでタイムトリップ(“穿越”)したかのようだ、というものだ。

“彩铃”は日本では馴染みがない。“彩铃”は、電話をかけた時に「プルルル」と接続音がなるのではなくて、30秒程度の曲の“副歌”(サビ)の部分が流れる。日本の着メロは受け手の着信音を変えられるのに対して、中国ではかける側が待つ時に音楽を流す文化が生まれた。この曲の設定は有料で、曲単位で3元の支払いが発生するシステムだった。“彩铃”のサービスは公開後に急速に大きくなり、2000万人規模の市場となった。もちろん、音楽産業はこれに乗り出した。“左眼跳跳”というヒット曲に代表されるように、印象的なサビだけにこだわり、他のフレーズは誰も知らないという曲が一時期流行した。

この流行はしばらくすると収束し、日本と同じようにMP3で作曲してネットで音楽を配布していたアマチュア作曲家がデビューするといった展開を見せていった。しかし、それを変える大きな出来事があった。SNSの発展だ。

中国では、当然検閲の関係で国内企業のSNSが国家主導で普及した。“微博”・“微信”・“抖音”などが挙げられ、とりわけ今回の話題の中心となる“抖音”は、中国の音楽市場に大きな影響を及ぼした。“抖音”では、“短视频”が大流行をした。ショートムービーでは、収録時の音声を削除し、音楽に合わせて簡単な踊りを披露する動画が流通した。そこでは、30秒程度で印象に残り、誰でもダンスができる、リズムを掴みやすい曲が大流行した。その結果、年末のライブイベントで、タイトルも歌手の名前もわからないが、なぜかサビだけは知っている歌手だけが10人選出されてしまったというわけだ。

ここで選ばれていた曲の拍数、調、周波数帯などを解析すると、“彩铃”時代の流行曲とほぼ同じだそうだ。10数年かけて音楽史が一周したように見えることを、“穿越”と筆者は呼んでいたというわけだ。他にも、曲のオリジナリティのなさについて、“抄袭”、つまりコピペという酷評もあった。

曲の分析では、歌詞について説明もなされていて興味深かった。中国語の歌詞は前後のつながりをとても重視する。古典の勉強で詩の勉強をさせられることもあり、かなり形式性を評価する。それは一方では詩の形式を狭めるが、もう一方では、人々にわかりやすい詩文を作ることに寄与する。七五調の歌がかつての日本で多かったことや、いまでも物語調の歌が多いのも似たようなものだろう。筆者によると、歌詞の観点からいうと、韻を踏んでいるものの前後のつながりがほとんどわからず、短いサビの間ですら何を言っているかわからないという。以下に例を示す。

我们一起学猫叫

一起喵喵喵喵喵

在你面前撒个娇

哎呦喵喵喵喵喵

https://zhidao.baidu.com/question/1388029789793064860

意訳すると、「私たちで猫の鳴き方を学びましょ/せーのでみゃおみゃおみゃお/あなたの前で思いっきり可愛く/ねぇねぇみゃおみゃおみゃお」だ。脚韻以外は猫の鳴き真似以外で音遊びする以外はただの音読である。短い時間で印象的なフレーズを作るため、2回目の繰り返しで“哎呦”と感嘆の音声を二つ組み合わせて音を無理に合わせていて、確かに何かを解釈できるようなものではない。一方で、ショートムービーには抜群に合いそうではある。

授業終わりに、来週は日本では年の終わりなので食事会になった。駅前の広東料理で中国語学習。あくまで、学習である。