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TERECO 南礀中題

困った人認定本を片手に何か言う困った人を避けたい

https://www.mikasashobo.co.jp/c/books/?id=00401500

言うまでもなく、私は職場の困った人だ。

最近、それについて産業カウンセラーが書いた本が出て、ほとんど予想通り炎上している。

一方で、この本のマーケ対象はこの本に批判的な人たちではない。他人と合わせて働くことのできる人々の方が多数派であり、それがために経済活動が動くという事実は否定できない。だから、他人に合わせて働けない人は売上にならない困った人、というわけだ。

ただ、「困った人」なるカテゴリーを同僚に向ける人たちは、言動を理解するパターンに乏しい人が多い。困った人たちは、同じノリの同じ仲間としかつるんでこなかったみたいに思われるが、私はどっちもどっちのように思う。それでも、同じノリであれば業務コミュニケーションコストが非常に下がるので、効率的に感じるし(実際に効率的とは言ってない)、みんな困った人に困っているわけだ。

私は管理職なので、上記のように、ここで意図されていることそのものはとてもよくわかる。ただし、私は困った人であるにもかかわらず、なぜか管理職をやっている。どうしてそんなことができるかというと、私は人を困った人扱いする人間をそもそも信用していないからだ。そうした人間の欺瞞も「困った人」とされる人々の振る舞いも等価にパターン化された言動にしか見えない。

例えば、親密度とチーム業遂行能力が比例しているという考え方がある(正しいとは言っていない)。もちろん、困った人の筆頭である私は職場の飲み会には一切行かない。私の業務範囲で売上に繋がらないからだ。人を困った人扱いする人のうち、親しくないと働きづらい人は現実に存在するが、私にはどうしようもない。私は好き嫌いなく働くしかないし、同じチームにいる人間の得意不得意を判別して不得意を減じて得意を増やすようにしかできない。私は好きも嫌いもないので、あなたも人を好きとか嫌いとかで判断して働くのはやめてください、というのしかない。ちなみに、私が飲み会に行く時は、誰かが退社する時だ。その人が会社の人と仲良く過ごす最後の時にやってくる見送り人というわけだ。私はいつも別れの準備ができるようにしている。

最後に、少し真面目に考えてみると、これは管理職と管理職予備軍向けの自己啓発書なわけだ。産業カウンセラーが書いているからこういう語り口になるし、それで現実に救われている人もいる。ただ、これが総じて差別的かといえば、差別的だ。これを武器にして診断の下りている人を攻撃する愚か者が溢れかえるだろう。

そもそも、人を困った人呼ばわりするような人々の考えがちな、コミュニケーションをなんとかしたら問題が解決するというのは神話にすぎない。人間を大切するために人格や性格というものをあまりにも価値をおいてはいけない。道徳は人間を超えて存在するものなのであり、性格や人格、診断、そんな卑小な尺で判断してもどうしようもない。人間を大切にするために人を人として見ないこと。すべてを客観性とシステムに落とし込むこと。効率化を人間を否定するシステム化ではなく、多様な人間を同一システムで働くことができるような工夫だと理解すること。結局のところ、『アンチ・モラリア』をもう一度人は読み返すべきなのだろう。

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佐藤正尚 南礀中題

12/22

ひどい夢を見た。どこかでバスに乗っていて、窓から外を覗いて、後ろを振り返るとミッション・インポッシブルのフォールアウトで出てきたスラブ系の顔立ちの殺し屋が歩いているのに気づいた。そのあと、バスを降りて、私は知り合いらしい日本人の殺し屋に話しかけられると、その日本人がスラブ人と突然殺し合いを始めた。しばらくやりあううちにガレージのようなところで戦いが始まると、刃渡りの短い幅広の刀で日本人が一方的に刺し殺そうとしたが、ほどなくスラブ人の蹴りで刀が吹っ飛んだ。私はなぜかそばでずっと見ていると、スラブ人がその刀を私に投げ飛ばしてきた。私は不意をつかれて正中線を避けたものの、左手首に八の字に傷がついた。つまり、刃が手首をぐるりと回ってしまった。すると、かなり深い傷になって、血が滴り出した。私はその場を急いで去ると、通りの向こうから刺青を入れた男がやってきた。何も言わずに私の周りを訝しげに歩き回り、私は救急車を呼ぼうとしたが、そこで目が覚めた。朝の6時だった。

昼休憩で熱源を読了。良い本だったが、これで直木賞取るのであれば、間違いなく近い時代やテーマを扱った同志少女は直木賞を取ると思う。熱源は、イカペラと伍長を最後に持ってくるあたりは伏線の回収としては少し構成が緩やかだったと思う。伍長がイカペラの昔の琴の音を聞いたことがある、という展開もいささか取ってつけたような印象になってしまった。つまり、伍長についてわたしたちはほとんど何も知らないも同然なので、「大学で文化人類学の知識を得ていたらしい赤軍女性兵士」というイメージと政治将校を射殺したことくらいしかわからず、イカペラとの対話では、イカペラの背景との情報量の差がありすぎたのでそこでどうしても白けてしまった。歴史小説として編年体を意識したこと、出版時の交渉でページ数を増やせなかったことなどが影響しているのかもしれない。その点踏まえ、同志少女は構成も見事で哲学的なテーマや現代的な思想潮流にも応えているように感じた。

夜は大掃除の続き。忙しさが続いて洗濯などもできていなかったので一斉に済ませた。