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TERECO 米原将磨

光の曠達の目的と寄付が必要な理由

先日の配信について、編集者の方や著名なライターなどに言及された。大変ありがたいとともに、光の曠達が今までより広く名前が知られていく最初の過程に入ったと感じた。そこで、光の曠達の目的と寄付が必要な理由、あるいは寄付以外での支援の方法についてここで述べておきたい。

まず、光の曠達をなぜやっているのかについてのモチベーションを説明する。次に、隠すことはないので、会計について明らかにし、なぜ寄付を募っているか説明する。最後に、光の曠達を続けていくことの行く末について語る。

(1)米原はなぜ光の曠達を主催し、江永泉さんに参加していただいてるのか。

これは、私が江永泉さんのファンであり、もっと活躍してほしいからだ。私たちは長い付き合いがあり、信頼関係があるなかで光の曠達をしている。そうした信頼関係あればこそ、彼にとっては前例のない、台本もほとんどない長時間配信で話し続けるリスクを引き受けてくださっている(驚かれるかもしれないが、米原が思いつきで話し始めることはほとんど事前に打ち合わせしていないのに、江永さんはその全てを的確に打ち返すのだ)。そして、何より、配信の中で江永さんが取り上げる本は常に興味深く、解説する視点も、含蓄に満ちている。また、犬の漫才師のように喋り続ける隣の米原の発言に対して同調とは違う適切なコメントをする賢者のような鋭さがある。この江永泉の痺れるような技巧を世に伝えることで、文章の仕事が増えてほしいと考えている。また、江永泉の人柄も多くの人々に知ってほしい。彼は、たとえ姿を見せることがなくても、ユーモアと慈愛に満ちた素晴らしい人であることが伝わると嬉しい。

(2) 常に寄付が必要な理由、そして寄付以外の支援

光の曠達は配信場所をお金を払ってお借りしている。その場所は南米フォルクローレを中心に音楽活動をしている山下Topo洋平さんが所有しているスタジオ「KOKOPELLI」だ。現在、有料貸出されており、配信プラットフォーム「シラス」内にあるチャネンル「山下Topo洋平のHappy New Moment」(https://shirasu.io/c/topo)に登録すると、その中で詳細情報・応募方法が開示されている。私は、ひょんなことからTopoさんと直接お会いする機会にめぐまれたので、その中で有料スタジオ貸出プロジェクトの最初の利用者として半年ほど利用させていただいている。スタジオは音楽録音を目的としているが、配信やライブ演奏もできるように比較的に広く機材が充実しており、下記の利用料金は都内では破格の安さだと考えられる。

半年にわたる配信の中で、サービス利用方法のベストな形を探っており、Topoさんと相談の上、新規の料金をプランを作成した。このプランでは、光の曠達の1回にかかるスタジオ利用に関わる料金が約8000円となる。また、書籍をコンテンツとして取り上げた場合、書籍代がかかり、米原のようにコンテンツがひとつのテーマになっている場合、資料代は書籍にはとどまらない。そして、当然のことながら、配信の間の飲食代はすべてTERECO(光の曠達の運営元)が提供し、江永さんに支払われている雀の涙ばかりで、私にとって慚愧に堪えない謝礼も計上される。簡単にいうと、現在、1回配信するたびに1万円以上はかかっており、上振れはいくらでもありえる。

私はフルタイムの労働をしており、1万円程度はとくに生活するのに障害とはならない。ただし、金銭によるリターンがないと、私の提供している配信の質がどう評価されているかわからない。現在、光の曠達の1回の配信は、平均して4000円程度の寄付がある。2023年6月号は観客が1名おり、おおよそ5500円の売上があった。とはいえ、目標には程遠いため、まだ配信のクオリティや宣伝でのリーチ方法で改善すべきところがあるというのは明らかだ。とりあげる題材もこうした観点で変更し、宣伝の内容も変えていくことになる。配信についての判断のすべてが金銭によるフィードバックに基づいているのだ。私は具体的に金銭を支払った人の評価を比較的に重視する。また、常時配信費用に売上が届かない場合、光の曠達、とくに江永泉を巡るコミュニティを維持するということが難しい。たとえば、観客で来た人が主役になるような配信のないイベントをKOKOPELLIで開催するといったことを実施したいとしても、毎月の光の曠達が赤字のなかでそれを実施することは、持続性を考えるとためらわれてしまう。

以上のように、Topoさんの協力で都内では破格の料金でスタジオを利用させていただき、薄謝で長時間配信をお願いしているのに嫌味のひとつも言わない江永さんの人格によって光の曠達は成立している。私がしているのはせいぜい用意の部分だけである。しかし、その用意で生じる問題のほとんどは資本で解決できるのであり、クオリティの向上もほとんど資本で解決できる問題なのだ。(1)で述べたように江永泉の活躍の支援をするためにも、その後のコミュニティ運営のためにも、寄付を常に受け付けている。

しかし、寄付以外にももちろん支援する方法はある。高評価・チャンネル登録はもちろん、リーチアウトの幅が広がるので大変ありがたい。また、光の曠達のリンクをSNSで貼っていただくのも非常にありがたい。配信に対するコメントはなくてもリンクを貼っておくだけで、誰かが関心を向ける可能性は少しでも高くなる。それは大変心強い。

(3) 光の曠達を続けていくことの行く末について

光の曠達を続けていく中で、いつか江永泉の単著を取り上げる回がくればこれほど嬉しいことはない。とはいえ、それはいつでもいい。ひとまず、江永さんの活動の中で光の曠達が何かに役立ってほしい。

一方で、光の曠達を提供しているTERECOという運営主体としては、光の曠達は今後展開していく様々なイベントの試金石のような扱いとなっている。現在、光の曠達が始まった後では、「シラス」で知り合った方をお呼びしたイベント(id-kabenuke×hideaki×米原将磨(diontum) 『街とその不確かな壁』・『変声 転轍の後で』W刊行記念鼎談イベント「不確かな壁を抜けるために」https://youtube.com/live/qE1KYnM662Y?feature=share)などをTERECOの提供で実施したが、光の曠達の運営で得られた知見が活かされている。また、この配信はアマチュアの方をお呼びしているので、飲食代以外は提供していないが、いずれはすでに商業デビューしている方をお呼びする資本の体制を整えたい。また、長時間のインタビュー動画シリーズも考えていて、その最初の試みとして、私の研究者のお知り合いをお呼びして収録し、その様子を公開した(浅野千咲さん×佐藤正尚「ハイチ文学の味わい ワカンダからハイチへ」パート1 https://youtu.be/eWuTEvNLXKI)。また、動画以外でも、TERECOは、ある同人誌批評の団体へのインタビューや、ある方の文章の書籍化なども視野に入れている。

TERECOはこのような形で、文化について語る場を創出していきたい。

最後に、寄付はこちらから受け付けています。配信を見て支援していただけるかたは、(2)に書いた通り、他の方法でも支援をいただけると幸いです。

doneru の寄付先

https://doneru.jp/TERECO

光の曠達

https://youtube.com/playlist?list=PLqquazgWuPmZUDMr85Gfq_JoDhmzsmQKV

YouTube チャンネル TERECO

https://youtube.com/@tereco9635

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佐藤正尚 南礀中題

2022年4月23日、24日

前の日、友人から電話がきて散歩帰りに一杯で済むはずもなく1リットルくらいビールを飲んで、しめにウィスキーを飲んだ。仕事のことで憂鬱になり、3時に就寝。

次の日、山下Topo洋平チャンネルオフ会に参加。懲りずにビールを飲んで体調を整え、大変愉快な時間を過ごす。チャランゴを生まれて初めて弾かせていただいた。真ん中の弦だけ、オクターブの違う弦が2本あり、興味深かった。久しぶりに純粋に、ギターが弾きたくなった。ケーナも会場にいた人に貸してもらって吹いたてみた。15分ほど努力を重ね、少し音が出た。面白い楽器だ。

しめやかに撤収作業が続く中、酔った勢いでRentのSeasons of LoveをiPhone で流すと、山下さんの興が乗り、一緒に歌うことになった。いい思い出。

帰りは、確かもうビールとワインをかなり飲んでいたので眠く、二次会会場で少し寝てから、復活。人生の諸事について話す。

何時かわからない時間に解散し、3次会にゲンロンカフェに向かうことに。SF講座の打ち上げをやっていたそうで、みな楽しくやっていた。毎年賞を獲る人は面白い作品を書くので今年も楽しみ。

7:00くらいに解散して、山手線をたぶん一週してしまった。王子駅で劇団普通の「秘密」千秋楽を見に行ったのだが、朝ご飯で食べたスタバのワッフルが完全に胃の中で処理できず、トイレに篭ったまま戦う羽目に。ひとしきり吐瀉したあと水で口を濯ぎ、トイレで顔を洗い、ミンティアで口臭をなんとして、途中から観劇。「秘密」のいいところは、1時間あとから見た時点でもおおよその話の内容を全て理解できる構成のシンプルさにもかかわらず、登場人物たちの日常の過剰なセリフの横溢があり、見るものを圧倒させるところだ。平田オリザ「東京ノート」的なところがありながら、その背後にはほんとうに日常しかない、つまり、真に日常的なことだけが危機的であるというリアリズムはとても好みだった。

電車の中ではひたすら吐き気をこらえつつ、帰り、家で突っ伏して寝続けた。