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佐藤正尚 南礀中題

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シールズを先行世代が評価するのは「昔の自分を褒めたいだけなのでは」と思っていたが、呉座・辻田・与那覇鼎談を見て、大体みんな同じことを考えていたのだな、と思った。左派的史観が事実検証を歪めたり、ロジックが極端になるのはわかるけれども、私もナショナルヒストリーで育ったので、もっとまともなナショナルヒストリーを次世代に読んで欲しいと思う。

この手の話を聞くと、セットで新書フォーマットで、おそらくは実学的ではない本が広く売られている国自体が珍しい、という意見については、少し思うところがある。まず、日本の出版文化自体が極めて特殊な成立をしているので、新書的なものは、みんな大好き欧米にもたくさんある。ただし、学者よりもジャーナリストの肩書きをもっている人の方が強い、という点が欧米的な特徴な気がする。フランスでは、クセジュ文庫などすぐに例に出されるが意外に教養書的なものが多い。ただし、日本で新書について語る人がほとんど歴史系の人、というのは日本における一定の趣向がでているのかもしれない。

違う相手の意見も載せる論に対しては、でも面白い話をするフェミニストの意見とか載せるんですか、とは思ってしまう。党派的でなく活動するのも、めぐりめぐって形式的には結局は党派と同じなので、実際にそういう場を作っていかないといけないのだろう。

シスターフッドがあるように、ブラザーフッドはあるはずなのだが、いつからそれはホモソーシャルになるのか。境目とは何か。